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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

泥土も積めれば土手になる

2025-04-20 | 水辺環境の保全

 こういう作業は遅々として進まぬ。昨年の度重なる豪雨ですっかり浅くなった泥水池をようやく浚渫出来るところまで来たけれど取水地の取水升掘り出し作業のようにスコップ1本の作業であれば手間暇重ねて達成できる作業でもある。まあ、「スプーン一杯の幸せ」なんてフレーズはどこでであったか記憶にはないものの、これからは当分の間「スコップ一杯の掘り取り」作業が延々と続くのであって、孤爺としては「エーンエーン」と泣き出したいところでもある。

 この日も翌日は雷雨で大荒れの予報だったので早めの作業を行ったものの進展しない事、甚だしいのだった。泥水池1の浚渫から始める予定だったのだが先日に修復した堤の高さの不足が気になって永田の泥仕合、カチカチ山の泥舟に次ぐ姥捨て山の泥堤造成となったのである。それは長柄のジョレンでは役立たずで、泥水池に立ち入って泥底を豆腐のように切り出して堤上端面にまで運び上げる作業の繰り返しとなった。濁った水の中を確認しながらの作業だから移動するにも切り取る場所を知るにも一動作一動作と操り人形のように頼りない。法面に足場を切って昇降するにしても濡れるに従い泥土化して滑りやすくなる。そんな斜面をスコップで切り取った泥土を崩さぬように運んで堤の高さを上げてゆくのであった。

 水の落ち口から浚い始めて中央部に近くなれば移動する距離も伸びるし一回で運べる泥土の量などしれた物であって辛抱・辛抱、我慢・我慢、忍耐・忍耐と言い聞かせての作業になった。雪深き豪雪地帯の冬越ししながら育った孤爺としては特別の事でもないものの、極めて単純な作業の連続は妄想も禁止の「足元注意・腰痛防止」と気の緩みがあってはならない単純かつ神経衰弱に繋がる作業でもあったのだ。こんな作業を続けていると長柄のジョレンで陸から泥浚い出来る作業は何と軽快かつ簡単な事だろうと思わずにはおれなかったのだが、とにもかくにも骨が折れる作業だったのだ。

 


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