トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今期二回目の抜去除草

2022-07-25 | 小人閑居して憮然
 一旦、投入されると根絶するのは厄介だなあ、と思って抜去除草したのが数年前だ。抜去後の再萌芽は無かったので安心していたら反対側の視認し難く立ち入らない水域に投入されて、この時は座布団程度まで繁殖を許したのだ。この時はゴム長に浸水を許して池に入り抜去したのだが翌年からは中央部に投入されるようになって視認できた都度、胴長を着けて排除したのが昨季の晩秋で。

 今春には同じ個所からの萌芽があったから胴長を着けて抜去したのだが先日、S先生が「オオカナダモがあちこちに見える」と言うではないか。小生はトンボの動静とオーバーフロー部の土嚢による補修だけしか頭になく急遽この日、抜去排除に入った。
 今までは抜き取る傍から陸に投げていたのだが今回は腰を入れて、いいえ、手を入れて懇切丁寧に抜き取らねば再萌芽の場所が多くなった分あとあと泣かされることになる。そこでタライと貝掘り熊手を携えて池に入った。貝掘り熊手は泥土中の根から掻き取る工夫なので、引き抜く時、容易にブツブツ千切れるしその結果自らプッツン切れずに済むための準備である。
 動きもままならぬ深い泥中の脚を動かそうとするだけでも厄介なのにプチプチプッツンでは身が持たない。「美徳のよろめき」で池に嵌れば一巻の終わりでもある。セミとサンコウチョウの葬送行進曲も悪くは無いけれど、こういうケースでも「孤独死」扱いになるのかどうか小生には知識がないのだった。

 さて池の水が澄むのは冬季だけなのでオオカナダモの茎元は見えないし手探りで辿るしかないのであるが、少し張力を掛けると概ね方向と角度が見えて来る。「当たるも八卦当たらぬも八卦」であるものの、そこに貝掘り熊手を泥中に差し入れ揺すり揺すりしつつ引き上げれば概ねは旨く抜き取れたのだ。
 今回の発生場所は大雑把に10カ所ほどで、それも池の水流に逆らった位置にまで発生していたし分布の様子から新たに今期の投入があったと判断せざるを得ない。盗掘での環境破壊のみならず投入での環境破壊は新たな脅威になってしまった。これは植物や生物の進出や投入に留まらず「知られる」結果の人為的行為ストレスもあるから防ぐのは至難、環境を維持するのは「風前の灯」でもある。

 手に負え無くなれば目に見えて荒れる「元の木阿弥」藪っ原に還すだけと腹を括ってこれからは作業を行わねばならない。不完全の資料とは言え「生物生産緑地としての里山保全活動」において現在の主な生息種はリストアップ出来たのでピリオド打っても「もういいか・・・」と言う気分になる抜去だった。


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