トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ジャコウアゲハで「青葉の笛」を想い出す

2017-06-29 | 感じるままの回り道
 出かけようと玄関を開けたらポーチにジャコウアゲハがいる。既に動く事もなく前夜か早朝に飛来してきたようだ。偶然ではあるけれど、昨日の帰宅時、タイヤに踏みしだかれ傷んだジャコウアゲハが自宅前の道路にあった。
 我が庭も外壁もジャコウアゲハの幼虫や蛹で「恐怖の館」状態であるけれど、こうも絶命した個体が転がっているようでは増々その感を深くする。

 それは別にしても「生まれた場所で終焉を迎えたかったのか?」と情緒的の疑問も出てくるが、踏みしだかれ傷んだチョウを見ていたら須磨の博物館で見た、今にも崩れそうな「青葉の笛」を想い出したのだ。
 まだ若い頃、職場の慰安旅行に神戸方面が選ばれた。小生には市街地など関心が無かったから、独り「青葉の笛」を見たくて須磨の博物館へ行ったのである。
 その昔、平家の敗色濃厚になった頃、自軍に戻ろうとしたところを呼び止められ、歳若き武将だった故に放たれる事を良しとせず討たれた敦盛の持っていた笛である。

 現在注目されている14歳と同じ年で、その姿勢に敦盛と共通点を感じたのは耄碌のせいなのであろうか。文部省唱歌「青葉の笛」歌詞二番になった故事、これは平忠度が詠んだのであるが、
    行き暮れて 木下蔭を宿とせば 花や今宵の あるじならまし
のように、ジャコウアゲハも我が宅に立ち寄ってくれたのなら望外の喜びでもある。宿となった蔭はアガパンサスだ。あまり情緒的では無かったが、咲き始めたブッドレアやオイランソウ、フェンネルなどで末期の蜜を摂ってくれたのなら嬉しい…。

 さてさて、古今二人の14歳には元服した振舞いを感じるが、目を転じれば永田で神戸を、いいえ頭を垂れるほど熟していなければならぬ輩は籾殻にも及ばぬ黄変米ばっかりだったとは…。まあ、今、分かった事ではないけれど、あんまりである。
 んーっ、アングリでもあるが、小生はアングラに近いか?!。
       
          道路の個体         ポーチの個体
     
 

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