林道擁壁を覆い垂れ下がっているミヤマハンショウヅルが今期も蕾をつけ開花が始ったのが四月中旬の事。蕾も花も葉の裏に隠れて咲くように見えるから「知る人ぞ知る」のポイントで、わざわざ出向いて見にくる人もいるのだが小生は「咲いたか・・・」程度の関心である。だからわざわざ鑑賞に出向く場所ではないのだが通りすがりにあるものだから秋波くらいは送っている。まあ、姥捨て山だから秋波を送る相手は人にはあらずなのだった。
今回も通りすがりに流し目をくれたのだが立ち止ってしまったのは「いやに花数が減っている…」と感じたからであって小生の長し目に応えた歓喜ではないのだ。人さまに流し目でも秋波でも送ろうものならそれこそ夏日出現の好日と言えど寒気を催されてしまいかねない。まだこの程度の認識は出来ておるのだ。
さて、花数が減ったのは開花が終わり花弁を落したのでもなく咲いていた範囲を確認してみるとピンチの痕が見える。花の咲いている部分は切り取られたようなのだ。それでも藪状の中に手を伸ばし探すと数輪が残っている。これすら「種子を散布する」事態に到れるかどうか分からないけれど5月か6月のどこかで「刈り払い」に見舞われるのはお約束なのである。
入山者の盗掘など止まない現状に加え「里山保全活動を行っていると思っている人たち」でさえこうするのであるから血圧が下がらないのはあたり前田のクラッカーである。まあ「爆ぜないクラッカー」である間は血圧は下がらないものの爆ぜたら血圧は無くなってしまうし・・・さーて老いたるベルテルの悩みは尽きぬし「生きるべきか死ぬべきか」と選択を迫られたらいの一番に「前者です!」と言ってしまうだろう。
あの高名な禅師は今わの際に「死にとうない!」と言ったとか。これは本心であるかどうかスズメたちは煩いけれど小生的には死を前にしての教え「禅問答」と受け取っている。まあまあ、山荒師も絶えないけれど脱線も絶えない小生なのである。