疾風の如く!

美人画と弓道に生きる日々。

美人画「京都の女」

2015年06月29日 | Weblog





久々の美人画イラストです。

タイトルは「京都の女」


舞台は、清水寺のつもりですが、

相変わらず、背景があんまりありませぬ(笑)




この女性は、以前、代々木公園で撮ったモデルさんですが、

完全に自分の好みに変貌して描かれております。

髪型やポーズは、このままでありますが・・。

実際、絵というものは、出来上がってみなければわからないのであります。



やっぱり、京都の旅は行ってよかった。

漠然と思い浮かべるよりも、バッチリイメージが湧いてきます。


いろんな要素が化学変化を起こしてるみたいです。

さて、これを色塗りしていきましょうかねぇ~










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今日の稽古 6/28

2015年06月28日 | Weblog

鼻風邪でよおおお~~く寝て、しっかり遅れて参加する。

まだ体調はダメだけど、部屋でぐだぐだしてるよりはイイ



射法を間違えないように、ポイントを抑えつつゆっくりやる。

大三からの引き分けで、矢が平行にならない原因がわかっていたので、

そこを修正しながらやり、今日はうまくいった。

これで、もう、この欠点は消え去っていくだろう。よしよし。




巻藁をやり始めて、実はかれこれ一年近くなっている。

「いつ的前に立つの?」「そろそろ的前?」とは言われるが、

「あんたはアホか?」「巻藁バカ?」などとは誰にも言われない(笑)

うちの道場の人たちは、皆、いい人たちばかりだ。


会は、平均5~6秒くらい・・・だいたいイイ感じである。

最後の伸び合いも出ていると思う。

丹田にも、それなりだけど落ちていると思う。


息を止めることで落とす人もいるけど、自分はそれはしない。

きちんとした自分の息合いを見つければ、丹田に落ちるんだ。




離れの瞬間の弱点があるけど、これはもう時間をかけて意識的に直していくしなかいだろう。

ほとんど高段者しか見抜けないような微妙な場所だから・・・もう地道にね(笑)



さて、本当にもうそろそろ的前に行きたいがなあ~~

あとは、的前に立つタイミングでしょうかね。うん。




今日は、けっこうな人数でした。30人くらい。

部屋で、一人でぐったりして寝ているよりは、皆さんと一緒に道場で弓を引いたほうが、

体が健康になっていく感じがするし、なんだか気持ちもリフレッシュできます。

また、青空の下で風に吹かれて引く巻藁は、とても気持ちがいいものであります。









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風邪

2015年06月28日 | Weblog

喉と鼻が・・えらいことになってます。

もはや「クスリ漬け」の状態です(笑)




コントロールがよくなりました。

野球やってたから、元々いいんですが、


ベッドに横になっていて、ティッシュで鼻をかんで、

妙な体勢から、いえ、どんな体勢からでも、

ポイポイとゴミ箱にストライクで投げ込めるようになりました。

なんでも努力精進でございますね~。



熱はなく、とにかく喉がきつい。

毎年6月になると、一度はかかっちゃうなあ~~やれやれ~



夏バテに効く野菜ベスト5だそうです。


1位 明日菜

2位 赤パプリカ

3位 オクラ

4位 ゴーヤ

5位 枝豆


元気になったら食べようーーっと










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お釈迦様と悪口男のお話

2015年06月26日 | Weblog





あるところに、

お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、

ひがんでいる男がいました。
 


「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」

男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。
 
 


 
ある日、その男は、お釈迦様が毎日、

同じ道のりを散歩に出かけていることを知りました。
 
 
そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、

群集の中で口汚くお釈迦さまをののしってやることにしました。
 

 
「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、
 
汚い言葉で言い返してくるだろう。

その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」
 
 




そして、その日が来ました。
 

男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。
 
お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。
 
 
弟子たちはくやしい気持ちで、「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」

とお釈迦さまにたずねました。
 
 
 
それでも、お釈迦さまは一言も言い返すことなく、

黙ってその男の悪態を聞いていました。
 
 
 
男は、一方的にお釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、

しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。
 
 
どんな悪口を言っても、お釈迦さまは一言も言い返さないので、

なんだか虚しくなってしまったのです。
 
 



 
その様子を見て、お釈迦さまは、静かにその男にたずねました。
 
 
 
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、
 
その贈り物は一体誰のものだろうか」
 
こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。
 
 
 
「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。 
 
わかりきったことを聞くな」
 
男はそう答えてからすぐに、「あっ」と気づきました。
 
 


 
お釈迦さまは静かにこう続けられました。
  
 
「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。 
 
でも、私はその ののしりを少しも受け取らなかった。
 
だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ」
 
 
 
     

 非常に深い話ですね。

互いにののしりあうことの愚かさ・・憎しみあうことの醜さ・・。

相手の挑発に乗った時点で、自分も敗北を喫している。



お釈迦様の教えに「八正道」というのがありますが、

これは「正語」に通じますね。

正しい言葉を使ったか・・悪い言葉を使わなかったかを反省する。

悪い言葉を使うと、心が汚れていくわけです。



こういう人も世の中にはいますね。

「こんにちは」と挨拶したその顔を、すぐさま別の方向に向けて「汚い顔を向けるんじゃないわよ」

などと、こそっとつぶやいている人・・本当にいました。

きっと、表向きの挨拶はしても、本心はその人がとても嫌いなのでしょう。

こういう人も、相手に聞こえないように言ったにせよ、汚れた言葉で自分の心を真っ黒に汚している。



人の陰口を言う人、人を悪く言う人は、自分の口で自分の心を汚している。

また、それはいつか、めぐりめぐって、必ず自分に返って来る。

これは、天罰などではなく、天に吐いたつばを自分の顔で受けているのと同じこと・・。

ですから、人の悪口も陰口もたたいたりはしないほうがいい・・。



そういうお話なんですかね。たぶんね。








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「広隆寺」 千手観音と弥勒菩薩  京都時雨旅 10

2015年06月25日 | Weblog

もう帰ろうと思っていたけど、ふとよぎった広隆寺の弥勒菩薩。

なぜだか「見ておきたい」と思い、足が向きました。



嵐電の太秦広隆寺で降りて、ボロボロの足をひきずって歩きます。

拝観料が700円で、これまでのどこよりもお高い。

値段が高いのは国宝第一号だから?

ま、いっか。せっかく来たんだから・・と入っていきました。



薄暗い霊宝館の中には、爺さんが立っていました。

その爺さんがこちらへ寄って来て「帽子はお取りください」

どうも、この爺さんは、管理人というか案内人らしい。

「あ、はいはい」と返事をして、数十体並ぶ仏像を見て回りました。


大きな千手観音がありました。




また、綺麗なお姉さんをそろえたな!

うんうん、ええやんけー!!


おいくら万円で・・・って、俺は店を間違えた??

あらら、いやいや、すみません。失礼しました。

アクセス数が思ったほど伸びてないので、軽くネ(笑)

でも、この最後の日にすごい衝撃を受けたのは本当でした。



では、気を取り直して!!

こちらが千手観音様でございます。






三十三間堂の時もそうでしたが、仏像をじっと眺めておりました。

千手観音は、様々な宝具というか道具を持って、その千の手をあやつります。

その手の一つ一つが、人間以上の御技をふるうのですね。

それは、神業の域にあり、並みの人間には太刀打ちできません。



・・ということは、人間が、弓道の超プロフェッショナルになっても、

それは、千手観音の両手・・腕2本くらいでしかないという事です。

残る998本の腕には、到底かなわないのであります。


自分は、弓を引き、絵を描きますが、千手観音の腕4本には到底及びません。

さらに、あとの996本には、まったく歯が立たないわけであります。



千手観音は、いったいどうやってそんな所までたどり着いたのか・・。

初めからできたのかというと、そうではないと思ったのです。

きっと、はるかな輪廻転生を繰り返しながら、それぞれの道を精進して、

その果てしなき修練の果てに、多岐にわたる道の頂点に立った。



自分だって、それなら、千手観音の入り口にいるということです。

今は、まったく及ばないのだけれど、果てしなき輪廻転生の彼方には、

そういう姿に少しづつでも近づいているかもしれない。

そう思って眺めていると、千手観音という仏様の偉大さが伝わってきたのであります。




ところが、この千手観音の向かい・・本堂の正面に、弥勒菩薩がおります。

千手菩薩だけが、役者ではないのであります。





弥勒菩薩の解説を見ると「お釈迦様に代わって、56臆7千万年後に下生し、

この世の人々の悩みや苦しみを救う」とあります。


この「お釈迦様に代わって」というところでびっくりしました。

きっと、千手観音がいくら凄くても、お釈迦差の代わりは務まらないでしょう。

でも、弥勒菩薩がそれをやってのけるというのです。





だとしたら、神の千の手を持つ千手観音よりも、弥勒菩薩のほうが位が上なのでしょうか?

そう思って、さっきの係りの爺さんに聞いてみたら、爺さんはこう言いました。


爺さん「・・すみません・・・わかりません」

俺は「知らない?・・んですか」

爺さん「如来の上が大如来だということは知ってますが・・・」

俺「それは、僕でも知ってます・・」(ため息)


まあ、でも、千手観音も菩薩だし、弥勒も菩薩だから、

お役目が違うだけで、同じ境地にあられるのだろうということにしました。







東京へ帰ってきて、弓の稽古をしている時、

こう思うのでございます。


自分という人間は、あの千手観音の2本の腕にもかなわないのだ。

幾転生の果てに、その腕2本分の力量にまでたどりつけるだろうか・・

神の手と呼ばれるような力量や境涯に、いつになればたどり着けるのだろうか・・と。

それは、もうとんでもない先なのでしょうね。


まあ、そういうわけで、これからもコツコツ努力していきたいです。

遠い遠い未来に、神様や仏様の領域にたどり着けることを是非に願いつつ・・・・。






これは京都駅。京都で撮った最後の写真です。

こうして、大阪と京都 2015年6月6~10日の旅は終わりました。










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