もう帰ろうと思っていたけど、ふとよぎった広隆寺の弥勒菩薩。
なぜだか「見ておきたい」と思い、足が向きました。
嵐電の太秦広隆寺で降りて、ボロボロの足をひきずって歩きます。
拝観料が700円で、これまでのどこよりもお高い。
値段が高いのは国宝第一号だから?
ま、いっか。せっかく来たんだから・・と入っていきました。
薄暗い霊宝館の中には、爺さんが立っていました。
その爺さんがこちらへ寄って来て「帽子はお取りください」
どうも、この爺さんは、管理人というか案内人らしい。
「あ、はいはい」と返事をして、数十体並ぶ仏像を見て回りました。
大きな千手観音がありました。
また、綺麗なお姉さんをそろえたな!
うんうん、ええやんけー!!
おいくら万円で・・・って、俺は店を間違えた??
あらら、いやいや、すみません。失礼しました。
アクセス数が思ったほど伸びてないので、軽くネ(笑)
でも、この最後の日にすごい衝撃を受けたのは本当でした。
では、気を取り直して!!
こちらが千手観音様でございます。
三十三間堂の時もそうでしたが、仏像をじっと眺めておりました。
千手観音は、様々な宝具というか道具を持って、その千の手をあやつります。
その手の一つ一つが、人間以上の御技をふるうのですね。
それは、神業の域にあり、並みの人間には太刀打ちできません。
・・ということは、人間が、弓道の超プロフェッショナルになっても、
それは、千手観音の両手・・腕2本くらいでしかないという事です。
残る998本の腕には、到底かなわないのであります。
自分は、弓を引き、絵を描きますが、千手観音の腕4本には到底及びません。
さらに、あとの996本には、まったく歯が立たないわけであります。
千手観音は、いったいどうやってそんな所までたどり着いたのか・・。
初めからできたのかというと、そうではないと思ったのです。
きっと、はるかな輪廻転生を繰り返しながら、それぞれの道を精進して、
その果てしなき修練の果てに、多岐にわたる道の頂点に立った。
自分だって、それなら、千手観音の入り口にいるということです。
今は、まったく及ばないのだけれど、果てしなき輪廻転生の彼方には、
そういう姿に少しづつでも近づいているかもしれない。
そう思って眺めていると、千手観音という仏様の偉大さが伝わってきたのであります。
ところが、この千手観音の向かい・・本堂の正面に、弥勒菩薩がおります。
千手菩薩だけが、役者ではないのであります。
弥勒菩薩の解説を見ると「お釈迦様に代わって、56臆7千万年後に下生し、
この世の人々の悩みや苦しみを救う」とあります。
この「お釈迦様に代わって」というところでびっくりしました。
きっと、千手観音がいくら凄くても、お釈迦差の代わりは務まらないでしょう。
でも、弥勒菩薩がそれをやってのけるというのです。
だとしたら、神の千の手を持つ千手観音よりも、弥勒菩薩のほうが位が上なのでしょうか?
そう思って、さっきの係りの爺さんに聞いてみたら、爺さんはこう言いました。
爺さん「・・すみません・・・わかりません」
俺は「知らない?・・んですか」
爺さん「如来の上が大如来だということは知ってますが・・・」
俺「それは、僕でも知ってます・・」(ため息)
まあ、でも、千手観音も菩薩だし、弥勒も菩薩だから、
お役目が違うだけで、同じ境地にあられるのだろうということにしました。
東京へ帰ってきて、弓の稽古をしている時、
こう思うのでございます。
自分という人間は、あの千手観音の2本の腕にもかなわないのだ。
幾転生の果てに、その腕2本分の力量にまでたどりつけるだろうか・・
神の手と呼ばれるような力量や境涯に、いつになればたどり着けるのだろうか・・と。
それは、もうとんでもない先なのでしょうね。
まあ、そういうわけで、これからもコツコツ努力していきたいです。
遠い遠い未来に、神様や仏様の領域にたどり着けることを是非に願いつつ・・・・。
これは京都駅。京都で撮った最後の写真です。
こうして、大阪と京都 2015年6月6~10日の旅は終わりました。