疾風の如く!

美人画と弓道に生きる日々。

わたしの城下町/小柳ルミ子

2009年01月31日 | Weblog





「愛の水中花」に続いて、名曲だと思ったのが「わたしの城下町」

相当なつかしい曲だが、間違いなく名曲のひとつ。



この詞のなかにある城下町が、いったいどこなのか?

と気になったので、調べてみたが、作詞した安井かずみさんによると、

「何処にでもあり、何処にもない城下町」だということで、特定の都市はない。



ただ、イントロの「格子戸をくぐりぬけ~♪」で、

京都をイメージしたということなので、一応、京都でいいだろう。

京都に城があるか?と言われたら、確かに二条城がある・・(笑)。



それで、「橋のたもとに灯る♪」は、四条大橋ということにした。

カップルが川辺に並んで座っているのが名物のあの四条大橋である。



だいたいそういうイメージで、カラオケで歌う時は、ひたって歌えそうだ(笑)。

歌詞的には、「橋のたもとに・・」と歌う2番が気に入った。




歌手の小柳ルミ子(本名は留美子)さんは、宝塚音楽学校を主席で出ている。

歌声も素晴らしいし、奇麗だし、才能も運もある女性だったのだ。


作詞家の安井かずみさんも、才能と美を兼ね備えた方だったようだ。

世界中を旅行しまくった人で、だからこそ、日本的な京都も見えたんだろう。



「わたしの城下町」は、当時、オリコン12週連続1位となり、

この記録は、女性ソロとしては、未だに破られてはいないそうだ。






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愛の水中花

2009年01月30日 | Weblog




ううーーん。松坂慶子さんが、とっても色っぽい・・悩殺される(笑)。

歌も素敵だけど、彼女は、とっても美人だったんですね。


底冷えするような雨の夜には、こういう歌もいい。

ラスト、彼女の肩紐がはずれるんですが、このシーンにはドキリ☆としました。




こっちの清純そうな松坂慶子さんも、実にいいですね。

こんなお姉さんがそばにいたら、もう最高です(笑)。







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キャッチボール

2009年01月29日 | Weblog




今日は、I崎とキャッチボール。


睡眠時間3時間でたたき起こされ、

その後、朝飯食ってからキャッチボール。


体は目覚めていないから、のんびり投げる。

久しぶりだが、I崎は上達していた。コントロールが良くなった。

相変わらず研究熱心だ。合気道もがんばっているらしい(笑)。



月曜には、いのっちとキャッチボール。

野球一族の中に生まれたピッチャー、いのっちの球は速い。

しかも、ナックルが持ち球だから、大変だ。

どうにも取り辛い変化をする。ナックルは魔球だ。



先週末は、S崎さんと練習。

キャッチボールもしたが、こっちは、守備重視だ。

ちゃんとしたグラウンドだから、できる練習が違う。

多摩川の堤防沿いではできないことが出来る。



なんだかんだ言って、週に1度は野球をやっているなあ・・(笑)。

まあ、いいこっちゃ。

シーズンになれば、2つのチームの助っ人にも行くだろう。

ただ、やはり、ハードに野球をやる時代はもう終わった。



弓は、2月半ばから道場に通う予定だ。

体を、特に左肩を作っている。弓道では弓手(ゆんで)と言い主導する腕。

弓を再開するにも、体の下準備が必要なのだ。


カーボンの弓を使っているが、竹弓もまだ使えない。

長い間、眠らせていて、この寒い冬場に使うと壊れる危険性がある。

春にならないとデリケートな竹弓はそり返せないのだ。

仮に壊したら10万円が飛ぶ・・(笑)


だから、春が来るまでは、武道系のバランスのいい体を作り、

竹弓を眠りから目覚めさせる。じっくり作っていくつもりである。





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姿三四郎 1970

2009年01月26日 | Weblog




古本屋で、本宮ひろしの「姿三四郎」を見つけた。

買って読んだが、なかなかに良い。


俺にとっての「姿三四郎」は、TVで竹脇無我が主演した作品である。

2枚目で目元涼しい三四郎は、本当にカッコ良かった。

当時、あの主題歌は大ヒットしたが、ちゃんと「You tube」にあった(笑)。




師匠に「死ね!」と言われて、池の中に飛び込んだ三四郎・・。

死ぬ死ねない。池からも出るに出られない。

そんな懊悩の中で、一本の杭だけが三四郎を支えている。

その一本の杭があればこそ、三四郎は、泥の底に沈まないでいられるのだ。


その杭こそが、三四郎にとっての「柔道」なのである。

つまり、人は、なにかの道を歩み精進することで

泥沼のような「この世」の中を、なんとか泳ぎきっていけるという事なのだ。



杭は、2本あってもいいが、たった1本でもあれば、それで人生は良いのである。



姿三四郎 1970





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「千手の舞」

2009年01月24日 | Weblog
千手観音之舞踏




彼女達は、全員が耳が聞こえないという障害を持つ人たちである。

だが、そんな彼女達の魂から放たれるこの舞はどうだ・・!! 



これは、小手先の舞ではない。

彼女達の「魂の歌」だ。

障害に負けない魂たちの希望と歓喜の舞だ。




今日は、マイミクさんのブログで、衝撃的な作品に出合った・・・・。



まだまだ、俺の作品は、小手先のものでしかない。

魂を燃やしながら、「いのちの絵」を描く人には、到底及ばない。




そう思い知らされた。







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