宮崎空港は旧海軍の飛行場だった。戦時中、敵艦に体当たりする特攻機が飛び立った▼最後に家庭の雰囲気を味わわせようとの上官の気遣いか、出撃前に周囲の民家に泊まる隊員がいた。子どものころ、毎週土曜にある隊員を迎えていた人は「明日、出撃しないといかん」と告げられ、隊員の写真を渡されたという。生きた証しを残したかったのか。また来週来てくれないかとの期待はかなわなかったと、宮崎日日新聞に語っていた▼特攻機出撃の地は米軍の標的となり、飛行場は何度も空襲を受けた。上空の敵機から自軍の戦闘機を守るコンクリート製の屋根付き格納施設・掩体壕(えんたいごう)も現空港周辺に残る▼宮崎空港の駐機場と滑走路をつなぐ誘導路で一昨日朝、戦時中の米軍の不発弾が爆発し深さ約1メートルの穴ができた。滑走路は長時間閉鎖。欠航で予定変更を強いられた人は災難だったが、爆発約2分前に現場付近を羽田行き日航機が走行したらしい。惨事が起きなくてよかった▼空襲の過去ゆえ空港では以前から不発弾がよく見つかるそうだが、いきなり爆発するとは驚きである。戦争は遠い昔の出来事ではないと改めて知らされた気がする▼宮崎空港の愛称は「宮崎ブーゲンビリア空港」。ブーゲンビリアなど、陽光あふれるこの土地らしい花々が飾られ、観光客を迎える。若くして散りゆく悲しみも知る、南国の空の玄関である。
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