「秩序か正義か、どちらか選べといわれたら、私は秩序を取る」。米国のキッシンジャー元国務長官の言葉という。その哲学は、故国ドイツで少年時代に遭った自身らユダヤ系への迫害が育んだとみる人は少なくない▼ユダヤ人を理由に少年たちに袋叩(ふくろだた)きにされた。ナチスの一団がユダヤ人を罵(ののし)って通りを歩き、父は教職を追われた▼秩序が崩壊し、むき出しになった憎悪と暴力。キッシンジャー氏が15歳だった1938年、一家は米国に逃れた(ウォルター・アイザックソン著、別宮貞徳監訳『キッシンジャー 世界をデザインした男』)▼冷戦期の世界秩序安定を追求した氏の訃報が伝えられた。国交のない中国と秘密交渉を重ねて72年のニクソン大統領訪中を実現した。ソ連にも接近。中ソ対立を利用し米中ソ関係での優位確保を図った▼ソ連外交官はキッシンジャー氏を「箸でキャビアを食べられる男」と称したという。中国人が使うそれでソ連名産を味わう豪胆な人という意味だろう。中ソの人権侵害を黙認したとも批判されたが、核保有国との対立激化を避ける秩序確立こそ、氏の正義だったと思える▼38年の渡米後、高校で米国人について書く随筆を課され「米国とは、胸を張って通りを横切れる国だ」と書いたと77年の国務長官退任演説で明かしたという。街で敵意におびえずに済んだ寛容な新天地。愛し、尽くした。
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