自分が死んだ後、息子たちがいったい、どんな弔いを出すのか。一代で大きな身代をこしらえた倹約家の吝兵衛(けちべえ)さんはこれが気になってしかたがない。落語の「片棒」である▼聞けば、長男は盛大にやりたいという。参列者は二千人。お坊さんは二十数人で、贅沢(ぜいたく)な料理をふるまう。どれだけお金がかかることか。無論却下である。次男は「歴史に残る破天荒なものにする」。木遣(きや)りに芸者衆の手古舞(てこまい)、山車(だし)。吝兵衛さんは怒りだす▼結局、三男の「棺桶(かんおけ)は菜漬けの樽(たる)で」というケチを徹底した案を合格とするが、さぞや聞いておいてよかったと胸をなでおろしているだろう。もしもの後では、意に沿わぬことをされても取り返しがつかぬ。文句も言えぬ▼葬儀の話ではないが、厚労省が呼びかける「人生会議」。人生の最終段階で自分がどんな医療やケアを望んでいるかを前もって考え、家族と共有しておくことを勧めている▼刺激の強いポスターが批判され、使用見送りとなる騒ぎがあったが「人生会議」そのものは意義ある習慣だろう。死という話題に気が進まぬという意見は分かる。家族から縁起でもないと言われるかもしれないが、自分の最期は自分で決めたい▼本人のためばかりではない。希望が明確なら、家族はもしもの際に迷うことも後悔もなかろう。母親の延命治療をやめてもらった経験がある。今も迷っている。
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