七月二十三日。東京は雲が広がったものの、ひとまずは晴れた。東京五輪が開幕の日を迎えた。一九六四年の時は前日からの雨がやんで、澄みきった秋空が広がった。今回は澄みきってはいない。そして蒸し暑い▼昼間、航空自衛隊のブルーインパルスが東京上空に五輪マークを描いた。五十七年前に比べてやや途切れがちに見えたのは気のせいだろうか。かつての映像を見れば青空にあんなに鮮やかな輪を描いていたのに▼誰もが待ち望んだ五輪とは言えぬ。開幕までの混乱や迷走を数え上げればきりがない。新型コロナの感染拡大を受け、五輪中止を求める声はなお残る▼六四年の東京五輪の開催前に家の前に置く大きなバケツが売れたと聞いたことがある。海外からのお客さんに清潔な東京を見てもらいたい。だからバケツを買った▼五輪を成功させたい。そういう国民の熱は今回、感じられぬ。時代だろう。多くの人には「わたしたちの五輪」ではなく、「どこかの誰かがやっている五輪」と映っている。「わたしたち」と「誰か」の断層が、五輪という「輪」を一つにできなかった▼その輪をひょっとして一つにしてくれるのが競技者たちなのかもしれない。コロナという困難に耐え、彼らはここにいる。その力と技は逆境を乗り越えた物語として誰かの励ましや希望になるはずだと祈るしかない。東京はひとまずは晴れた。
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