「仏の顔も三度まで」
みたび舞野です。もういいか加減に空気読め!というお声が聞こえてきそうですが、
一応3部作完結編です。
昨今、経費の削減や不況のせいか<御歳暮>を送る人が減っているようです。
80年代はお茶や海苔が進物の花形だったようですが、今はビールや洗剤など
送り先の好みに合わせた実用的なものが多いようです。
「贈り物にいまさらお茶なんて・・・
」
セイセイセイ~
お茶は古いかも知れません。急須を持ってない人も多いかもしれません。
でも、それよりもお茶を贈るということは、実はそれよりももっと
<心>を贈る<気遣い>を贈るという意味あいもあるそうです。
閑話休題
以前、お話した園子、いやその子。
数年ぶりに会ってきました。
会うのはここ10年で2回目。
友達と呼ぶにも図々しいくらいですが、全然変わってなくて、
言いたいことや、近況、大変だった経験などを話し合って、あっという間に
時間が過ぎ、またお互いの生活に戻っていきました(注・一対一ではなく数人です。)
とても楽しかったと共に、少し切なかった・・・
色々、まったく違う環境、違う経験、違う楽しさを、違う苦しさを感じてきたのでしょうが
僕の中にあの時と変わらない心がありました。
好きとかそういうのではないんですが、なんなんでしょうか。
以前、お茶のお勉強でお寺の住職の話を聞いたことがあります。
「窓の外を見て、山は山。川は川。」こういう風に見えるのは、普通の人だそうです。
同じものを見て、「山は山ではない、川は川ではない、全てはひとつ」と見えるのが
仙人クラスだそうです。では悟った人は「山を見たらそれはやっぱり山である。
川をみたらそれはやっぱり川」見えるそうです。
さっぱり、意味が分かりません。
でも、園子を、いやその子を見たとき「やっぱりその子はその子だった」と感じました。
なにが言いたいのかさらに分からないですが、要は、お茶を贈るということは、
自分自身の相手に対する、「変わらない気持ち」を表しているものだということです。
それは、相手を思いやる気持ちであったり、相手の健康を気遣う気持ち、相手の幸せを
願う気持ち。きっとお茶以外にも贈る人はそういったことを考えられていると思いますが、
お茶にはそんな意味合いもあることを頭のどこかに入れておいていただければ幸いです。
最後に、これにピッタリ?のお茶の言葉を思い出しました。
「茶心不二」(ちゃしんふじ)←たぶん富士山と掛けたんでしょうが・・・
解釈(お茶の心はふたつとない、ただ相手を思う気持ちのみ)
やっぱり、今年はお茶を贈ってみませんか???
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