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「成院と患者」5

2019年06月07日 | T.B.2002年


 彼が、指導医から受け取った薬。

 流行病に対抗出来る、唯一の薬。

 それは、

 流行病が広がるのを防ぐため、感染者を殺すためのもの、なのだ。

 彼女が流行病に感染しているのならば、
 今すぐに、彼女に、この薬を投与しなければならない。
 彼女を、……殺さなければならない。

 しなければ、また、病が広がる。

 広がれば

 ――その原因である自分は、お咎めを受ける。

 そう

 彼女は、気付いているのかもしれない。

 彼は息を吐く。

「君がどう云う状態か、診たいんだ」
 彼が云う。
「診察をさせてもらっても、いい?」

 彼女は首を振る。

「出来るだけ、完成を急ぎます」
 彼女は、持っている布と針を、見つめる。
「待っていただけませんか」

「そんな、……待てないよ」

 彼女は、再度首を振る。

「最後の願いになると思います」

 その言葉に、彼は、目を見開く。

 しばらくの間。

 彼女は、少しだけ手を動かす。
 刺繍をはじめる。
 少しでも、刺繍を進めたいのだろう。

「それを……」
 彼が云う。
「そんなに、完成させたいの?」

 彼女が頷く。

 その手は、動き続ける。

 彼は、坐ったまま、彼女を見つめる。

 ……最後の、願い。

「晴れの日の衣装って、云ったよね」
「……はい」
「それは、男物?」
「ええ」
 彼は。ふと、思い出す。
「……この前、一族の結婚式があったのだけど」
 彼が云う。
「そのとき使われていた衣装も、君が作ったやつかな?」
「結婚式……」
 彼女が呟く。
「そうかも、しれません」

 彼女は、刺繍を続ける。
 彼は彼女を見る。

 彼女の表情が、少しだけ緩んでいる。

 自分の作った衣装が、誰の手に渡るのか知ることもないだろうに。
 なぜ、そんなに、それを完成させたいのか。

 中途半端に、

 終わりたくない

 と、云うことだろうか。

 しばらく、彼女の様子を見ていた彼は、立ち上がる。
 彼女も、顔を上げる。
 彼と目が合う。

「また、来るよ」

 そう云うと、彼は荷物を持ち、部屋を出る。

 ……最後の願い。

 彼の頭を、先ほどの言葉が巡る。

 たぶん
 彼女は、流行病に感染していても、まだ発症はしていない。
 咳も出ていなかったし、喉が渇いた様子もなかった。

 大丈夫。
 少しだけなら、きっと待てる。

 そうだ。
 薬の投与期限があるか、上の者に訊いてみよう。

 上の者か……

 ……上の者は、あまりいいように思わないだろうけれど。





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