『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1526】フュージョン音楽を聴いていると、時が立つのを忘れる(*^_^*)

2008-08-15 09:44:46 | 思索
車を運転している最中に聴いたFM放送の音楽が、超・気持ち良かったので、
そのアルバム名の『オフランプ』をネットで調べたら、
パット・メセニー・グループの演奏で、それはフュージョン音楽でした。

レンタル屋さんで探したのですが、『オフランプ』は古いアルバムなのでありませんでした。
換わりに、『スピーキング オン ナウ』(2002年)を借りたのですが、なかなか良かったです。
聴いていますと、超・気持ち良いです。(*^_^*)  これが、深夜のことです。(^^;ゞ

それでまた、目の前にあるラジオのスイッチをFM放送にしましたら、
『バチカンビートボックス』というアルバムの『Hassan's Mimuna』と、
シンクオブワンの『アレラミネラ』がかかっていて、これらもまたフュージョンでした。(^^;ゞ
どちらも民族音楽とロック音楽がミックスされたものなのです。

この頃の私は、「音は、うるさいもの」(笑)と思っていたので、もう長時間、音楽を聴くことはないと思っていましたが、
さっきから3時間ぐらい時を忘れて、恍惚感にひたって、『スピーキング オン ナウ』を聴いています。(^^;ゞ

これはまるで、お盆休み中の私への、神様からのプレゼントのようです。
「私のいのち(人生)」を、またひとつ、豊かにすることが出来ました。(*^_^*)

★フュージョン音楽は、シンセサイザーがなければ成り立たない音楽です。(^^;ゞ
 現代さん、科学さん、ありがとう御座います。 (*^_^*)

パットメセニー

『バチカンビートボックス』

【1525】『食べることをやめました』(森美智代著)

2008-08-15 09:17:03 | 思索
『食べることをやめました』森美智代著(マキノ出版 2008年刊)を読みました。

★著者は、「一日に、青汁一杯だけ」で、13年間を過ごしていますが、
痩せた体形でなくて、 現在の体重は60キロだそうです。

1962年生まれの森さんは、『1リットルの涙』の著者・木籐亜矢さんと同じ病気(脊髄小脳変性症という難病)に、
21歳のときになり、その後すぐに甲田先生の「生野菜の超小食療法」を始めました。

食事の量が減るのと足並みをそろえるように、病気の症状は少しづつ軽減をしていき、
寝たきり寸前で、床をはっていたのが、やがて普通に歩けるようになったそうです。
現在、体重が多すぎて困っているそうです。(^^;ゞ

この本を読んで、
『1リットルの涙』の著者の木籐亜矢さんも、甲田先生の「生野菜の超小食療法」に出会っていれば、
治ったのではないかと、悔やまれました。(亜矢さんは、中学3年生で発症し、25歳で亡くなりました。)

以下、『食べることをやめました』を読んで、私が興味深いと思ったことを書きます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★体重は、食べた量には関係がない。

★森さんは、病気になり、青汁のみの生活になったことで、「食べる楽しみ」を無くしましたが、
他人のオーラが見えるようになり、自動書記やチャネリング、遠隔療法などが出来るようになったそうです。
現在は、それらの知識と能力を活かして、甲田医院の近くで鍼灸院をされています。

★断食中は、気の流れが速くなります。そして、物を食べない分、消化器全般がエネルギーを使わないでよくなるので、
気が病気直しのほうに行くそうです。

★背腹運動★
 あるとき、甲田先生に背腹運動のコツをうかがったところ、
「1~2ヶ月の間、毎回1時間半くらい、風を切るように、すごいスピードでやりなさい」と言われました。

それをやっていると、あるとき、メトロノームのように動かしていた背骨がビシッと外れる感じがして、
ひとつひとつの骨が動いて、ムチみたいにしなる感覚がありました。

そのとき、宇宙と一体になったような、生きながら天国に行ったかと思うようなすばらしい開放感が得られらのです。

その後は、とても体が楽になり、いつも幸福感がふわーと広がったような感覚が持続するようになりました。』(p164)

■これは、ヨガ(呼吸法)をして、背骨を伸ばしたときの、なんとも言えない幸福感に似ていますね。(^^;ゞ
 横隔膜や背骨を動かすと、物理的に快感が得られるようです。

そして、この快感は、「統一」や印を組んだときの「宇宙をつながった感覚」と共通なのだと思いました。(*^_^*)

【1524】自分の「意識」を、表明する!

2008-08-15 00:28:24 | 思索
【1523】では、ちょっと変なことを書いてしまった(笑)とも思うのですが、
皆さんは、どのように思われますか(^。^?

ここまで『知足日記』を書いてきて、
この「自分」を、匿名の誰かにすることは出来ないと思うのです。 (^^;ゞ

この「内藤浩司」が、生きていて、
そして、『知足日記』に、本当のこと(笑)を書こうとしているのですから、
自分の「意識」に起きていることを、表明すべきだと思うのです。 (^^;ゞ

判断は、みなさん個人個人の「意識」にお任せします。


【1523】「内藤浩司」のしたいことを、させろ!

2008-08-15 00:10:34 | 思索
【1522】の『消えてゆく姿(プロセス)として、大切だ 』は、
「それ自体を味わいなさい」、「それ自体を楽しみなさい」ということでもあるのです。(*^_^*)

「快い思い」も「不快な思い」も、必要があって、味わうために起きているのです。
「怒り」や「憎しみ」もまた、必要な「思い」なのです。  『すべて必要。すべて良し 』なのです。

「自分の怒り」を味わって楽しめないようでは、本当の自由人(笑)とは言えません。(^^;ゞ
「食」は、素敵なことなのです。 「食」は、罪悪ではないのです。(^^;ゞ

さきほど、「統一」をしながら、ウトウトしていましたら、
突然、「『内藤浩司』のしたいことをさせろ!」(笑)という言葉が心に浮かびました。(^^;ゞ
ちょっと危険な言葉(笑)ですが、今の状況を考えますと、
 守護霊さんからの「激励のメッセージ」なのかも知れません。(^。^?

それでもこれは、「業欲」を表せということでなくて、
「自分のいのちを、輝かせて御覧なさい」という意味です。

★そんなこんなで、今回のお盆休みは、「自分がワクワクすることを探す」がテーマのようです。
家内の指導で、体に負担が掛らないように注意しながら、「興味ある食べ物と食べ方」を探索しています。

「美味しいものを、味わう」という幸せは、確かにあると思うのです。 (^^;ゞ

そのほかのことも、「内藤浩司」の思いと行動に任せてみようと思うのです。 (^^;ゞ

「自分」のない不惑の境地ならば、「神人・内藤浩司」(笑)の行動そのままが、
「自分のいのちを輝かすこと」でもあると思うのです。

みなさん、「ワクワクする人生」を楽しみましょう。(*^_^*)