『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1516】「世界人類」と「人類」の違いは何? 「私」と「私たち」の違いは何?

2008-08-09 04:06:45 | 思索
【1515】を書いていて、迷ったことがあります。(^^;ゞ
それは、「世界人類」と「人類」の違いと、「私」と「私たち」の違いです。

それぞれの言葉が、何を指しているのかが、わからなくなってきました。(^^;ゞ
「世界人類」はどこにいるのでしょうか?
「人類」はどこにいるのでしょうか?

「私たち」とは、「誰たち」のことなのでしょうか?
「私」とは、何のことなのでしょうか?

どれもが言葉(イメージ・観念)であることには、間違いがないのです。
「言葉」はいったい、何を指し示しているのでしょうか?

「言葉」は結局、自分のなかの「思い」を語っているに過ぎないのです。(^^;ゞ
ですから、この『知足日記』も、独り言です。

と言っても、人間の脳にとって共通な「言葉」に、
意味(価値)がないわけではありません。

言葉とは、「祈り」なのです。(*^_^*)

【1515】人類の平和が成就しました。(果因説とは、「祈り」である)

2008-08-09 02:55:57 | 思索
【1514】を書いていましたら、『果因説とは、「祈り」である』という言葉が浮かびました。
日本語(笑)にしますと、
『果因説的世界観は、「思い(祈り)」で成り立っている』です。
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★世界は、「果因説」で成り立っている。
「より良い世界」を築くためには、「良い思い」が必要である。
「祈り」が必要である。

世界とは、「祈り」の結晶である。
「世界人類が平和でありますように」では、果因説ではない。

私たちの「思い」は、
『世界人類は、平和である。成就 』だけで良い。

私たちは、
『人類の平和の成就』だけを思い描いていれば良い。

世界中で起こるニュース(プロセス)の一つ一つに、一喜一憂する必要はない。

『世界人類の平和が成就しました』だけで良い。(*^_^*)


【1514】常に自分の心を「光明の言葉」で満たし、陽気に暮そう!

2008-08-09 02:15:59 | 思索
このごろは、7月行事への参加経験と、【1509】の『真理に目覚めた瞬間、平和は訪れる』で、
「私の思考は、跳んでしまった。悩み考えること(感情想念)が終わってしまった」と思うことが多いです。

「今、生きているだけで、充分。何が起こっても大丈夫」(笑)と思えるようになったのです。(^^;ゞ

「こう思えてしまった」のには、伏線がありまして、それが、6月の大阪支部での講話会でした。
私が影響を受けた部分を、簡単に書きますと以下のようなになります。
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★★【常に、「光明の言葉(思い)」で、自分の心を満たすことが大切であり、
それさえしていれば、すべては上手く行くのです。】★★★★

★【「日々の行」が大切なのではありません。日常の「瞬々の思い」が大切なのです。】★

6月の講話会を聴いて、上のことに気づきました。

■例えば、会員さんから、「私は、会員になって20年になります。
毎日、決められた行もしているのですが、不満に思えることが多くて、
悩みがなくならず、良い人生を歩んでいるように思えません。
どうすればよいでしょうか?」という相談を受けることがあるそうです。

そういう場合、その方が、日々どのような思いで、生活をしておられるのかを聴いてみますと、
「決められたことだけはするが、それ以上のことはしていない」(笑)ことが多いのです。

たとえば、「光明思想徹底行」に、なぜ、「徹底」という言葉が入っているのかというと、
行をしている数分間だけ「光明の言葉」を思い浮かべるのでは、「徹底」ではないのです。

四六時中、自分の心を「光明の言葉(思い)」で満たしていなければ、「徹底」ではないのです。(^^;ゞ

その会員さんも、朝の数分間だけは「光明の思い」の中に居るですが、
他の時間の大部分は「不平不満」を述べているので、思った通り(不平不満)のことが現れてしまっていて(笑)、
「良い結果(良い人生)」が得られないのです。(^^;ゞ

これは、「世界平和の祈り」にも、地球世界感謝行にも、印にも言えることです。
『四六時中、どう思っているのか』が、本当に大切なことです。(*^_^*)

一日24時間、「光明の思い」で、自分の心を満たすことが肝心なことであり、
「朝の行」は、切っ掛けに過ぎないのです。(^^;ゞ

「白光の教え」とは、
一人一人が四十六時中、「光明の思い(陽気な心)」でいましょうということなのです。

人間は、「陽気に暮らすこと」が何よりも大切なことです。
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★★★『人間は、思い煩う必要はなくて、
 陽気に暮らすことが、もっとも大切なことです。』★★★

富士聖地での7月行事に参加して、昌美氏に「今、4次元世界に居る」と宣言されたことと、
【1509】の『真理に目覚めた瞬間、平和は訪れる』を読んで、
私の意識は、「果因説的世界観」の中に入ってしまったのです。(^^;ゞ

★ただ、その反面、自分は、肉親の死や大災害や核戦争が身近に起きると、
「うろたえてしまう」とも思うのです。(^^;ゞ

 けれども、「心のありよう」としては、「今、陽気であること」は正しいことなので、
「まだ、起きていない未来」を憂える必要は全くなくて、
その時のことは、その時に考えればよいのです。(^^;ゞ

白光真宏会 大阪支部の講話会