奈良県立橿原考古学研究所が26日、平城京(710-748)の正門・羅城門跡のすぐ西側(右京)にある大和郡山市観音寺町などの発掘現場で、8世紀の羅城(城壁)跡とみられる柱列跡が見つかったと発表した。 周辺で大量の瓦が見つかり、京の南辺に位置し外国使節を迎えた羅城門の両脇付近が寄柱(よせばしら)を持つ瓦葺の築地塀だったとみられる。
羅城跡が確認されたのは、平成17年に羅城門跡から東約500mの下三橋遺跡((しもみつはしいせき)で発見されて以来2例目。 柱列は計6個の柱穴(一辺50~60cm、柱径は10~15cm)で、穴の底には礎板が入っており、2・7m間隔で東西に並んでいた。
この柱列の南側で2個の柱穴らしき跡も見つかったが、用途は不明。
17年の調査で見つかった羅城跡の柱穴は一辺約1m(柱径約30cm)で、今回出土した羅城とは異なる構造という。
近くから、土馬(どば、高さ約15cm、幅約11cm)や和同開珎、饒益神宝(じょうえきしんぽう)(注1)など5種6点の銭貨、銅製鈴など祭祀遺物が出土した。
現場は既に埋められ、現地説明会はない。 出土した土馬や軒瓦などは、27日から橿原市の橿考研付属博物館で展示される。
(注1) 饒益神宝の初鋳は貞観元(859)年
[参考:産経新聞、共同通信、読売新聞、毎日新聞、奈良新聞]
「羅城」の遺構の柱列か…平城京羅城門跡近く(読売新聞) - goo ニュース
羅城跡が確認されたのは、平成17年に羅城門跡から東約500mの下三橋遺跡((しもみつはしいせき)で発見されて以来2例目。 柱列は計6個の柱穴(一辺50~60cm、柱径は10~15cm)で、穴の底には礎板が入っており、2・7m間隔で東西に並んでいた。
この柱列の南側で2個の柱穴らしき跡も見つかったが、用途は不明。
17年の調査で見つかった羅城跡の柱穴は一辺約1m(柱径約30cm)で、今回出土した羅城とは異なる構造という。
近くから、土馬(どば、高さ約15cm、幅約11cm)や和同開珎、饒益神宝(じょうえきしんぽう)(注1)など5種6点の銭貨、銅製鈴など祭祀遺物が出土した。
現場は既に埋められ、現地説明会はない。 出土した土馬や軒瓦などは、27日から橿原市の橿考研付属博物館で展示される。
(注1) 饒益神宝の初鋳は貞観元(859)年
[参考:産経新聞、共同通信、読売新聞、毎日新聞、奈良新聞]
「羅城」の遺構の柱列か…平城京羅城門跡近く(読売新聞) - goo ニュース