江原考古文化研究院は27日、江原平昌郡の鐘阜里遺跡(강원 종부리 유적)で青銅器時代前期に作った周溝墓1基を確認したと発表した。
東西方向を軸に東西15.5m、南北6.3m、幅1.2m~0.55mの平面長方形の周溝の中央地点から、土地を耕して作った穴に木棺と一緒に木槨を安置した長さ2.0m、幅1.0m、残存深さ0.18m規模の土壙木槨墓を確認した。
土壙墓内部は、断面「∪」字形に補強され堆積した土跡が確認され、本来この墓に木槨を使った跡とみている。 さらに木槨内部で一定の範囲内に人骨が分布する跡が見つかり、今はまったく腐ってなくなってしまった木棺があったということが推定できるという。
木棺と木槨の間とみられる空間では、青銅器時代前期の土器である無文土器壺1点と赤色磨研土器2点が並んで置かれた状態で発見された
木棺をまた木で覆った木槨墓が使われた時期が、従来の通説より1千年以上遡る青銅器時代前期(紀元前10世紀頃)であることを示す考古学的発見としている。
韓国考古学会の通説によれば、韓半島で通常、木棺は粘土帯土器と細形銅剣を主な副葬品とする紀元前4世紀頃以後に登場して、木槨はこれよりはるかに遅れて紀元2世紀以後の墓に使われ始めたと見なされるという。
[参考:聨合ニュース、韓国文化財庁報道資料]
東西方向を軸に東西15.5m、南北6.3m、幅1.2m~0.55mの平面長方形の周溝の中央地点から、土地を耕して作った穴に木棺と一緒に木槨を安置した長さ2.0m、幅1.0m、残存深さ0.18m規模の土壙木槨墓を確認した。
土壙墓内部は、断面「∪」字形に補強され堆積した土跡が確認され、本来この墓に木槨を使った跡とみている。 さらに木槨内部で一定の範囲内に人骨が分布する跡が見つかり、今はまったく腐ってなくなってしまった木棺があったということが推定できるという。
木棺と木槨の間とみられる空間では、青銅器時代前期の土器である無文土器壺1点と赤色磨研土器2点が並んで置かれた状態で発見された
木棺をまた木で覆った木槨墓が使われた時期が、従来の通説より1千年以上遡る青銅器時代前期(紀元前10世紀頃)であることを示す考古学的発見としている。
韓国考古学会の通説によれば、韓半島で通常、木棺は粘土帯土器と細形銅剣を主な副葬品とする紀元前4世紀頃以後に登場して、木槨はこれよりはるかに遅れて紀元2世紀以後の墓に使われ始めたと見なされるという。
[参考:聨合ニュース、韓国文化財庁報道資料]
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