唐津市教委は28日、同市東城内の唐津城跡本丸の西側で約400年前の築城期のものと見られる石垣が見つかったと発表した。唐津城は初代唐津藩主の寺沢志摩守が慶長7年(1602)~13年(1608)に築城したと古文書に記載されているが、当時の石垣が見つかったのは初めて。
築城期のものと見られる石垣は、現在の石垣(高さ4m、幅約40m)の約3m内側に沿って、地下約50cmのところに高さ50cm延長約3mにわたって7個並んでいるのが見つかった。花崗岩の自然石を使っており、周辺から江戸初期に朝鮮半島から伝わった陶磁器や瓦の破片など数十点の遺物が出土したことから時代を特定した。周辺の石垣は割り石を使っているほか、土層が違っており、築城後、数回にわたって石垣を積み直す補修や改修が行われていたことがわかったという。
本丸南側では、高さ約3mの天守台石垣の土に埋もれていた部分には自然石が混じっているのに対して、地上部分は割り石になっており、ここも改修された可能性があるとみている。
これまでの調査で存在がわかっていた本丸西側の櫓台の石垣13個も新たに見つかった。江戸中期から後期にかけてのもので、石垣で囲まれた櫓台の立っていた敷地は南北9・5m、東西7・5mの長方形とわかった。瓦などの出土品などから江戸中期から幕末にかけ、平屋建てのやぐらが建っていたとみられる。
天守台東側の地中からは通常の割り石とは色や形状が異なる石が見つかり、天守閣の石垣も積み直した可能性も出てきた。
説明会が10月3日(日)午前11時と午後2時の2回、唐津城の中段広場で開かれる。
[参考:佐賀新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]
過去の関連ニュース・情報
2009.6.24 唐津市・唐津城 名護屋城と同じ文様の瓦が大量に出土
2008.11.7 唐津市・浜玉で石切り場確認 大坂城再建時に搬出か
築城期のものと見られる石垣は、現在の石垣(高さ4m、幅約40m)の約3m内側に沿って、地下約50cmのところに高さ50cm延長約3mにわたって7個並んでいるのが見つかった。花崗岩の自然石を使っており、周辺から江戸初期に朝鮮半島から伝わった陶磁器や瓦の破片など数十点の遺物が出土したことから時代を特定した。周辺の石垣は割り石を使っているほか、土層が違っており、築城後、数回にわたって石垣を積み直す補修や改修が行われていたことがわかったという。
本丸南側では、高さ約3mの天守台石垣の土に埋もれていた部分には自然石が混じっているのに対して、地上部分は割り石になっており、ここも改修された可能性があるとみている。
これまでの調査で存在がわかっていた本丸西側の櫓台の石垣13個も新たに見つかった。江戸中期から後期にかけてのもので、石垣で囲まれた櫓台の立っていた敷地は南北9・5m、東西7・5mの長方形とわかった。瓦などの出土品などから江戸中期から幕末にかけ、平屋建てのやぐらが建っていたとみられる。
天守台東側の地中からは通常の割り石とは色や形状が異なる石が見つかり、天守閣の石垣も積み直した可能性も出てきた。
説明会が10月3日(日)午前11時と午後2時の2回、唐津城の中段広場で開かれる。
[参考:佐賀新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]
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