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福岡市・元岡古墳群G6号墳出土象嵌大刀 韓国聨合ニュースでは「三寅剣」を指摘

2011年10月08日 | Weblog
 10月6日の韓国の聨合ニュースで、金台植?(キム・テシク)記者が元岡古墳群に赴き、福岡市教育委員会埋蔵文化財センターを取材した内容が掲載されていた。 結構長い文章であったが、新たな部分のみを取り上げてみる。
 キム記者は同センターの案内により、展示中の「大歲庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果■」(■は練か?)の銘文がある象嵌大刀や銅鈴などの出土遺物、そしてG6号墳の横穴式石室を見学した。
 まず、キム記者自身が、象嵌大刀について最初に質問したことは、銘文部分で「大刀12振り(本)を作ったという意見はありませんでしたか」という内容。 センターは「あるにはあったが、『果』にはそのような意味がない」と答えている。
 キム記者は、「凡十二果■」を「およそ12回練り鍛えた」と解釈するには疑問を持っており、「合計12本鍛えた」との解釈を考えている。
 墓の規模や象嵌銘の大刀が副葬されているにもかかわらず、出土品が多くないことから、墓が盗掘されたのではないだろうかと感じたキム記者が質問したところ、墓は鎌倉時代13世紀頃に盗掘にあったとようだと回答があった。この頃も、祭儀施設として使用していたらしいとしている。
 キム記者が現場を離れる前、センターに、「この象嵌大刀が三寅剣(さんいんけん、삼인검)である可能性があるか」という話を用心深くしてみたと記しているが、その結果については何も記されていない。
 キム記者が解釈している三寅剣とは、寅年・寅月・寅日に製作された大刀で、この時に製作した大刀は何より神通力が大きいという考えが当時東アジアにはあったとしている。 この象嵌大刀は庚寅年正月6日庚寅に作ったという。 正月は元嘉暦では寅月ともするので、したがってこの大刀は寅年寅月寅日に作ったことになると締めくくっている。
[参考:聨合ニュース]

備考
「三寅剣(さんいんけん)」
 ① 三寅剣は中国では、古代思想に言う虎・豹・狸(猫)のことで、これら人間に害をする三寅を収める力を持つ剣、という意味があり、すなわち魔除けの剣のことである。
 長野県小海町個人蔵の「三寅剣銘大刀」(7~8世紀)は、「三寅剣」の銘があるが、製作年月日に関するものが何も記されていなく、また作風が中国とみられ、この魔よけの剣と思われる。
 ② 韓国では、年・月・日あるいは月・日・刻の3つがすべて寅の時に作られる大刀を意味する。 また、年・月・日・刻すべてが寅の時に作られる大刀は「四寅剣」という。 特に新年最初の寅の日に効果が最も高いらしい。 ただし、「三寅剣」「四寅剣」とも朝鮮時代に盛んに作られたものであり、570年頃に当てはまるかどうかはわからない。 また、朝鮮時代に作られた三寅剣ないし四寅剣は、銘文に複数本~最大200本を作ったことが記され、このことが、キム記者が12度でなく、12本との考えのもとになっていると思われる。
 元岡古墳群G6号墳出土の象嵌大刀は、「大歲庚寅正月六日庚寅日時」と刻まれ、寅年、寅月、寅日でしかも新年最初の寅の日に当たる。(三寅) さらに「時」を「刻」とみれば、「庚寅日時」の「庚寅」は「日」および「時」にかけられているのではないだろうか。(四寅)

過去の関連ニュース・情報
 2011.9.21 福岡市・元岡古墳群G6号墳 「庚寅」年(570)と日付の銘が入った象嵌大刀出土

<追記> 2011.10.19
 今朝の読売新聞に奈良大 (日本古代史)東野治之教授が書かれた本件に関する記事が出ていた。タイトルは「象嵌入り 朝鮮の舶載品か」。
 行き着くところ、筆者がまとめた「三(参)寅剣」あるいは「四寅剣」であり、作られた12本のうち1本が、守り刀として北九州の有力者の手に入ったのだろうとしている。
 中身については、素人の筆者とは違って大変参考になる内容である。 下記に整理してみた。
① 「練」と推定されている字は「湅」であろう。 両漢字とも「ねる」の意味がある。 「湅」は中国古代の鏡や刀剣の銘文でよく使われる。
② 「湅」以下は「湅(ね)りを果(と)ぐ」あるいは「湅(ね)りを果(はた)す」として完成させたことを述べている。
③ この銘文に似た書風の象嵌銘を持つ刀が、朝鮮半島南部(かつての伽耶)出土と伝えられ、東京国立博物館にある。 今回の大刀が完全な隷書ではなく、より新しい特徴が見られる。
④ 正月を「建寅月(けんいんげつ)」とすれば、「三寅剣」、銘の「日時」の「時」が寅の刻だとすれば「四寅剣」の可能性がある。 このような寅が並ぶ条件で下で刀を作ると、災いを避け福を招くという道教的な信仰が中国や朝鮮では古来続いた。 暦の知識とともに、関連の道教的思想が流入したことを示す。
などとしている。[参考:2011.10.19読売新聞]

 筆者が注目している別の一つに、「信貴山真言宗 総本山 朝護孫子寺 (生駒郡平群町)」がある。
 同寺のHPには沿革として、「敏達天皇11年(582) 寅年寅の日寅の刻、聖徳太子この山で毘沙門天王を感得される。
 用明天皇2年(587)7月3日聖徳太子、御本尊の御加護により佛敵守屋を討伐し、御自ら毘沙門天王像を刻み、この山の守護本尊として祀られる。」としている。 もし、伝えが事実とすれば、大刀銘の570年よりわずか12年後のことである。


2011.12.9 追記
 象嵌大刀をX線CTスキャナーで立体化した画像が公開された。
 文字を立体的に見ることで、彫った字にどの順番で金属を流し込んだかが分かる。 刃と柄の形も分かった。
 画像データを基に、石膏製の復元レプリカ(全長73cm、幅2・5cm、厚さ7mm)を作製した。
 CT画像とレプリカは、同市埋蔵文化財センター(同市博多区)で12月10日~来年4月1日まで公開する。
[参考:産経新聞、毎日新聞、朝日新聞]


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