歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

小浜市・丸山城址古墳 片袖式の横穴式石室で、玄室へ向かう通路がスロープ状に下降、朝鮮半島の影響

2011年09月06日 | Weblog
 小浜市教委と花園大学考古学研究室は5日、同市の丸山山頂(標高110m)にある前方後円墳・丸山城址古墳の発掘調査結果を発表した。
 8月下旬~9月初め、3カ所のトレンチを掘って調べた。 一昨年の測量調査と同じく、全長約30m、500年頃(5世紀末~6世紀初め)の築造と確認された。前方部の横穴式石室を調べた結果、棺を納めた玄室へ向かう通路がスロープ状に下降しており、本州で一般的な水平構造とは異なっていた。 朝鮮半島、その文化が伝わった北部九州の影響を示しており、同様の例として若狭町の向山1号墳(全長約49mの前方後円墳、5世紀半ば築造)がある。 玄室は、「片袖式」で、本州では「両袖式」が一般的とされるのに対して、朝鮮半島と北部九州に見られる構造としている。(注: 向山1号墳は両袖式である。)
 同古墳は、後円部にも石室を持ち、若狭では、十善の森古墳(全長67mの前方後円墳、5世紀末から6世紀前葉築造)にのみ例ある。この両古墳はほぼ同時期に築造されているが、円筒埴輪の型式比較から、十善の森古墳の方が、より有力な首長墓とみられる。
[参考:中日新聞、朝日新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.9.11 小浜市・九花峰古墳 若狭地方で最古4世紀の前方後円墳
 2009.8.25 若狭町・糠塚古墳 全長約60mの前方後円墳と判明

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大分市・古国府遺跡群 第15次調査 居館跡?の遺構などが出土

2011年09月06日 | Weblog
 大分市教委は、現在「古国府遺跡群」第15次調査として南大分小校舎建て替えに伴う発掘調査を実施している。
 4世紀末~5世紀初頭(古墳時代中期)の祭祀施設あるいは有力者の居館跡とみられる一辺が約30mの方形区画の遺構、
 6世紀末~7世紀初頭(古墳時代後期)の大型掘立柱建物跡(長辺約18m、幅約3m)や柱の破片、
 幼児を葬った土器の棺、その横に供えられていた矢尻、水鳥の頭の形をした土製品など、
が出土した。
 古国府遺跡群の周囲には、弘法穴古墳(円墳、6世紀後半)や蓬莱山古墳(全長57mの前方後円墳、4世紀)をはじめとする大型古墳が多数あり、今回発見された遺構群は、古墳時代に大分を治めた豪族たちの居住区だった可能性があるという。
 9月4日(日)に現地説明会が行われた。 調査は9月末に終了し、埋め戻された後、体育館が建つ予定。
[参考:2011.9.5読売新聞、大分市HP]

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富岡市・上高田社宮子原遺跡および上高田熊野上遺跡 現地説明会9/11

2011年09月06日 | Weblog
 富岡市教委は同市妙義町上高田(かみたかた)の上高田社宮子原(しゃぐじはら)遺跡と上高田熊野上遺跡で行っている発掘調査の現地説明会を9月11日に開催する。 同遺跡は松義中部地区遺跡群の一つ。
 発掘は10年度から実施しており、8世紀の住居跡や古代の牧場の南端とみられる区画整理のために掘削した大溝跡、大溝に架かる土橋(どばし)、道路跡などが出土した。
 今回の調査で出土した大溝は両遺跡合わせて延長約370m。断面はU字形で幅約2・9m、深さ約1・3~0・9m。 水を流した形跡は見つかっておらず、空堀とみられる。 土橋は大溝の両岸の道路を結んでおり幅は約2m。
 住居跡は、竪穴住居跡10軒、掘立柱跡7軒が見つかり、土師器や須恵器などのかけらも多数出土している。
 現地説明会は9月11日(土) 午前9、10、11時の3回開かれる。 妙義庁舎近くの発掘調査事務所前に集合。 (小雨決行)
[参考:2011.8.31毎日新聞、2011.9.6産経新聞、富岡市HP]

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