公州大博物館は8日、熊津首都期百済(475~536)王城に指定されたりもする公州公山城(공주 공산성、公州市山城洞)の第4次発掘調査の結果、熊津遷都(475)直後に作ったとみられる掘立柱(壁柱式、벽주식)建物(굴립주 건물)跡をはじめとする熊津~泗沘時代百済建物跡、貯水池、盛土敷地と築台などを確認したと話した。
同博物館は、今回確認した施設が「百済王宮関連付属施設」と説明している。
多量の武器や中国製磁気などが出土した。
熊津~泗沘期建物跡の上層では大規模な火災層が確認され、またその上では統一新羅時代文化層が現れた。 特に火災層では鏃が多量に出土した。
このような掘立柱建物跡は、公山城頂上部、あるいは近隣の艇止山遺跡(정지산 유적)などの地で確認されたことがあるという。
[参考:聨合ニュース、大田日報]
同博物館は、今回確認した施設が「百済王宮関連付属施設」と説明している。
多量の武器や中国製磁気などが出土した。
熊津~泗沘期建物跡の上層では大規模な火災層が確認され、またその上では統一新羅時代文化層が現れた。 特に火災層では鏃が多量に出土した。
このような掘立柱建物跡は、公山城頂上部、あるいは近隣の艇止山遺跡(정지산 유적)などの地で確認されたことがあるという。
[参考:聨合ニュース、大田日報]