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歴歩

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岩手県金ケ崎町 鳥海柵遺跡は安倍氏が前九年合戦で築いた柵

2009年11月27日 | Weblog
 町教委は26日、同町西根にある鳥海柵遺跡(とのみのさくいせき)が安倍氏が前九年合戦(1051~62年)で築いた柵であったと発表した。
 町教委の本年度調査で、遺跡内の伝三の丸地区から東西16.3m、南北12.5mの大型の4面庇付き掘立柱建物跡が出土し、その北東部からは水晶の丸石が見つかった。地鎮祭などの儀式が行われた格式の高い建物だったことが分かった。
 これまでの調査結果を踏まえ、遺跡を安倍氏の柵と結論付けた。
 遺跡は安倍頼良の三男、宗任の拠点と伝えられている。堀や柵の遺構が軍事的構造で、出土品も前九年合戦時に重なることから、鳥海柵ではないかと有力視されていた。
 前九年合戦を記した「陸奥話記」(11世紀後期ころ作成)には、鳥海柵や厨川柵(現・盛岡市)など12柵(注1)が登場するが、いずれも場所が特定されていない。場所の特定は鳥海柵が初めて。
[参考:岩手日報、河北新報]

(注1)12柵: 厨川柵、嫗戸柵、比与鳥柵、鶴脛柵、黒澤尻柵、鳥海柵、瀬原柵、大麻生野柵、藤原業近柵、河崎柵、小松柵、石坂柵



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