歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良市・東大寺 法華堂の部材を年輪年代測定し729年伐採と判明、「東大寺要録」の733年創建を裏付け

2011年09月10日 | Weblog
 昨日9日、東京国立博物館・平成館大講堂で開催された講演会で、森本公誠東大寺長老が「聖武天皇と東大寺-東大寺ミュージアム オープンに寄せて-」と題して講演会を行い、その中で、奈良市の東大寺・法華堂(三月堂)で、本尊の不空羂索観音像が乗る基壇と法華堂に使われた木材が729~731年に伐採されたことが分かったことを明らかにした。
 本尊の不空羂索観音立像(国宝)が立つ八角須弥壇(幅6.9m)の修理を機に、総合地球環境学研究所(京都市)光谷拓実客員教授が年輪調査を実施し、部材の1本ヒノキ皮付きの木材を測ったところ729年伐採と判明した。ほかに、建物から採取した二つの木材の伐採年はそれぞれ730年と731年と判明。
 平安時代に編纂された「東大寺要録」は、法華堂は天平5年(733)に建てられ始めたと記すが、近年は屋根瓦の研究をもとに、740年代との見方が有力だった。 今回の発見は、信憑性が低いとされてきた東大寺要録の記録を裏付ける結果となった。
 森本長老は「観音像も729年以前に造られたものだろう。法華堂や観音像は728年に幼くして亡くなった聖武天皇の皇子・基王(727-728)のために造られた可能性が高い。」と話した。
[参考:産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、東京国立博物館HP]
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高槻市・梶原寺 古代寺院の礎石が初めて見つかる

2011年09月10日 | Weblog
 高槻市教委は8日、7世紀半ばから平安時代頃まで存在したとされる高槻市内最古の寺院で、「正倉院文書」にも記述のある梶原寺の礎石が初めて見つかったと発表した。 市教委によると地域の豪族が建立したとしている。
 約8年前、神社に隣接する民家敷地内で見つかり、市が今年5月から調査。 礎石は花崗岩製で長辺1m、短辺75cm、高さ30cm、重さ600kg。 上面には直径50cm高さ約10cm、下面には同70cmの柱座があり、建て替え時にひっくり返して再利用したとしている。
 この他、34年前に付近で実施された発掘調査では、瓦や僧坊跡とみられる柱穴が確認されているが、本堂や講堂といった主要伽藍に直結する発見は初めて。
 古文書などによると、同寺は7世紀半ばに建立され、12世紀には廃寺になった。
 正倉院文書には、東大寺建立のため瓦6000枚を梶原寺に発注したとの記述がある。 中心建物があったとされる畑山神社付近からは、実際に奈良時代から平安時代にかけての瓦や瓦を焼く窯跡が出土している。
また、「今昔物語」には、10世紀後半に書写山圓教寺(姫路市)を開いた性空聖人が「摂津ノ国ノ梶原寺ノ僧房ニ宿シヌ」と記されている。
 礎石は畑山神社境内に保管し自由に見学できる。
[参考:読売新聞、毎日新聞、産経新聞、高槻市HP]

関連情報
 2008.8.16 圓教寺 性空上人坐像 頭部に瑠璃の骨壺 本人の遺骨か

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