京都市中京区の平安宮跡で、遷都(794年)前後に「大極殿」を造営する際に施されたとみられる掘り込み地業(ちぎょう)の遺構が市埋蔵文化財研究所の調査で見つかった。
平安宮の大極殿は桓武天皇による遷都の際に建てられたが、1177年の火災以降は再建されなかった。絵巻物から平安後期の大極殿は東西53m、南北21mの単層だったと推定されているが、中世以降の開発で遺構などはほとんど確認できていない。
同研究所が大極殿正殿の推定地の北西角を発掘したところ、全面で南北5m、東西13mにわたって地業跡が出土。深さは0・9m以上で、土を何層にも突き固める「版築」の工法が用いられていた。
[参考:読売新聞]
平安宮大極殿、「基礎工事」跡が出土(読売新聞) - goo ニュース
平安宮の大極殿は桓武天皇による遷都の際に建てられたが、1177年の火災以降は再建されなかった。絵巻物から平安後期の大極殿は東西53m、南北21mの単層だったと推定されているが、中世以降の開発で遺構などはほとんど確認できていない。
同研究所が大極殿正殿の推定地の北西角を発掘したところ、全面で南北5m、東西13mにわたって地業跡が出土。深さは0・9m以上で、土を何層にも突き固める「版築」の工法が用いられていた。
[参考:読売新聞]
平安宮大極殿、「基礎工事」跡が出土(読売新聞) - goo ニュース