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平等院鳳凰堂・仏後壁(国宝) 極楽浄土図の全容が明らかに 藤原頼通も描かれる?

2009年01月24日 | Weblog
 平等院と東京文化財研究所が23日、藤原頼通(992~1074)が建立した平等院鳳凰堂(京都府宇治市)内にある国宝「仏後壁前面画」の初の全面調査が実現しその結果を発表した。壁画で目視困難だった姿などが浮かび上がり、風景画的な要素を盛り込み、濃淡を表現するために顔料にもこだわる細かな技法などが判明した。
 今回の調査結果は、長年権力者として君臨した藤原頼通が老いて、成仏などへの願いを込めて絵師たちに描かせた姿を思い起こさせた。
 仏後壁は幅3.7m、高さ3.4mで、計11枚のヒノキの長板に描かれている。中央部には、左右に数人の菩薩らを従えて仏殿に座る釈迦が高貴な人物と対面し、前庭では舞楽を演じている様子を表現。このほか、上部には飛天が舞う虚空や海波、仏楼閣、下部には象車や馬車などが描かれている。
 同寺は構図や彩色手法などから、絵画が描かれたのは天喜元(1053)年の鳳凰堂創建後間もない時期から頼通の没後(1074)近くまでの間と推定。さらに、釈迦と対面する高貴な人物などについては「頼通自身の可能性もある」と推察している。(専門家の中には否定的な意見もある。)
 普段は前に本尊の阿弥陀如来座像があるため、科学的調査が困難だったが、「平成の大修理」で本尊を移動した平成16~17年に東京文化財研究所が撮影し、近赤外線や蛍光X線による分析も含めて詳しく調査していた。その結果、
 壁画に使われる緑の顔料には、緑青だけでなく亜鉛を含む特殊な顔料を併用して濃淡を表していた。
 舞楽を舞う天人の模様の部分の赤には、辰砂(硫化水銀)を主成分とする顔料が使われていた。
 飛天の手のひらには「平等院蓮」を、銀箔を重ね詳しく表現していた。
目視困難であった3頭の象の姿が浮かび上がった。
 人物の上から霞を描いたり、下地の模様を浮かび上がらせる「描き消し」技法が用いられている。
など、色や技法へのこだわりをうかがわせた。
 一方、図柄は、東海学園大学の渡辺里志准教授(仏教美術史)(注1)が平成19年に発表していた「インドの太子が釈迦のもとに供養に訪れ、阿弥陀仏のように成仏できるとの予言を与えられた」との「阿闍世太子授記(あじゃせたいしじゅき)説話をもとにしたことが改めて裏付けられた。
 24日から鳳凰堂に拝観者用の説明パネルが展示される。
 また、調査結果は、26日発行の平凡社の別冊太陽「平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁」で公表される。
[参考:産経新聞、共同通信、時事通信社、毎日新聞、朝日新聞]
(注1)インターネットでは、『平等院鳳凰堂仏後壁前面画の主題 ̶「釈迦八相」としての解釈の可能性(東海学園大学 渡辺 里志)』が公開されている。
描かれているのは藤原頼通?…平等院鳳凰堂の壁画(読売新聞) - goo ニュース
平等院壁画に頼通の絵か 浄土行きと一族繁栄願う (共同通信) - goo ニュース

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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歴史をたずねて (タケチ )
2010-03-25 12:56:45
1000年もの時空を越え 当時の絵や彫像品等が見えるとは 不思議な気がして 貴重な大変有難いことやと思います。今日こうして生きている自分がいて、 生かされているんだなぁと思うし。 その間には、戦や第二次世界大戦もあった訳やし 感慨深いものがありますね。 そして、当時の高貴なお方が同じ物を見たと思うと なんだかわくわくします。
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次の1000年後も同じことを願って (歴歩)
2010-03-25 17:18:34
まさしくそのように思います。
次の1000年後も同じような状況が維持できればばよいのですが。また、そのような努力と協力が必要だと思います。
返信する

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