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東近江市・相谷熊原遺跡 縄文時代草創期の竪穴住居5棟と国内最古級の土偶が出土

2010年05月29日 | Weblog

相谷熊原遺跡出土土偶(高さ3.1cm、最大幅2.7cm、重さ14.6g)。 2011.6.14「発掘された日本列島2011」(江戸東京博物館)にて撮影。

 滋賀県文化財保護協会は29日、東近江市永源寺相谷町の相谷熊原(あいだにくまはら)遺跡で、縄文時代草創期(約1万3000年前)の竪穴住居跡5棟が見つかり、国内最古級の土偶1体が完全な形で出土したと発表した。同時期の住居群跡は全国でも数例で、しかも近畿地方では初めて。土偶は三重県の粥見井尻(かゆみいじり)遺跡で2点に次3例目。
 発見された土偶は高さ3.1cm、最大幅2.7cm、重さ14.6g。女性の胴体のみを、胸や腰のくびれも優美に表現し、腕や脚はなく、頭部もなかったが、首付近に直径3mm、深さ約2cmの穴があり、棒で別の頭部をつないだなどの可能性もある。底は平らで自立するのが特徴。
 相谷熊原遺跡は、三重県境の鈴鹿山脈から流れる愛知(えち)川の南の河岸段丘にあり、山間地と平野部が接する場所にある。竪穴住居群は、緩い斜面約100mの間に5棟連なって確認された。規模の分かるものは直径約8mの歪(いびつ)な円形で、深さ約0.6~1mと、これまでの例より深く、しっかりした構造だった。作るのに相当な労力がかかる上、多くの土器や石器も出土しており、一定時期でも定住したことが考えられるという。
 現地説明会は6月6日(日) 10時と午後1時半の2回開かれる。雨天決行。
[参考:共同通信、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、産経新聞]

滋賀で縄文草創期の最古級土偶 3例目、女性かたどる (共同通信) - goo ニュース
リアル!最古級!縄文のビーナス出土(読売新聞) - goo ニュース

[コメント]
縄文時代の国宝としては4点あり、そのうち土偶は3点である。
 「縄文のビーナス」(茅野市棚畑遺跡、約4500年前)
 「火焔土器」(十日町市笹山遺跡、約4500年前)、
 「中空土偶」(函館市著保内野遺跡、約3200年前)
 「合掌土偶」(八戸市風張1遺跡、約3500年前)
そして、縄文時代草創期(約1万2千~1万1千年前)の土偶として、三重県飯南町粥見井尻遺跡出土品がある。
今回出土した相谷熊原遺跡・土偶は、時期的にこれらを遡るものである。

過去の関連ニュース・情報
 2009.12.18東近江市・相谷熊原遺跡 愛知川上流で初の縄文時代の遺跡を発見 土器棺墓など出土
 2010.2.15 盛岡市・川目A遺跡 土偶700点を発掘 男性風土偶も出土
 2009.5.14 ドイツ・ホーレ・フェルス洞窟 世界最古のビーナス像を発掘
 2008.12.3 橿原市観音寺地区遺跡・御所市本馬遺跡 東日本文化の影響を受けた縄文晩期遺跡
 2008.8.20 茨城県 十王堂遺跡 縄文中期から中世にわたる複合遺跡と判明
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茨城県結城市・須久保塚古墳 市内最大規模の全長75mの前方後円(あるいは方)墳

2010年05月29日 | Weblog
 結城市教委の発掘調査で、同市上山川にある須久保塚古墳が全長約75m、幅約54m、高さ4.5mに及び、市内では最大規模であることが分かった。これまで、墳長41mの前方後円墳とみられていた。出土品が限られているため、築造年代はわからない。
 古墳は墳丘の四方が削られていることから、前方後円墳と推定されるが、前方後方墳の可能性もあるという。
 溝の大きさは幅7.5~10m、深さ約1.6mで、断面は逆台形。後円部とみられる部分から、木棺を埋設したと考えられる土坑が1基確認された。土坑内部の副葬品などについて、発掘を進めている。
 築造年代を示す土器や埴輪などの遺物は出土していないが、周溝の中から平安時代に遺骨を納めた壺の骨臓器や、中国・北宋時代(960-1127)の貨幣・宋銭が出土している
 現地説明会が、30日(日) 午後1時から4時まで開かれる。
[参考:東京新聞、結城市HP]



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新居浜市・正光寺山古墳群 6~7世紀の石室5基や青銅製の歩揺付冠が出土

2010年05月29日 | Weblog
 新居浜市教委は29日、2009年1月から発掘調査が行われていた正光寺山古墳群(同市坂井町2)で、6世紀中頃から7世紀までに造られた石室5基が見つかったと発表した。
 昨年1月から調査した結果、直径13~16mの円墳3基と、円墳の一部と見られる墳丘や石室が3基分見つかった。
 古墳群の中央に位置する2号墳(直径14m)の横穴式石室は、遺体が安置されていた「玄室」の奥行きが2・8mと、一般的な石室に比べてやや狭く、九州地方の流れをくんでいるという。1号墳からは、県内では出土例の少ない青銅製の歩揺付冠、3号墳から鉄製の刀が見つかった。ほかに鈴、耳飾りも今回の調査で見つかっており、新居浜平野の首長クラスの豪族が埋葬されていたとみている。
 古墳群は今後埋め戻され、古墳の地形を生かした公園として整備予定。
 現地説明会が29日(土)午前10時と午後1時の2回行われる。(雨の場合は30日に延期)
[参考:読売新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.4.9 市教委は8日、正光寺山古墳群の調査で、6世紀半ばの特徴を持つ須恵器が、1、2号墳からそれぞれ見つかり、6世紀半ばに築造された可能性が高いとの発掘調査内容を中間報告した。
 同古墳群は1951年に愛媛大の松岡文一教授(当時)らが1、2号墳を調査。主に石室内を調査し、副葬品の須恵器から築造年代を6世紀後半と予想。規模は直径約15mの円墳2基と推定していた。2号石室から直弧文が施された鹿角装刀子や鉄鏃などの鉄製品などのたくさんの遺物が出土した。石室はともに北西方向を向いており、石室の大きさは1号墳が幅0.8m、長さ1.5m、高さ1.4m、2号墳が幅1.77m、長さ2.74m、高さ1m。
[参考:毎日新聞、新居浜市HP]



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