府教委が25日、和泉市府中町の和泉寺跡で、8世紀前半(飛鳥時代末-奈良時代前半)に泉南地域を治めた有力豪族「珎縣主(ちぬのあがたぬし)」と記された瓦が発掘調査で見つかったと発表した。同寺は文献に記録がなく「幻の寺院」とされてきたが、今回の調査で地元豪族が建立した可能性が高まった。
出土した瓦は縦37cm、横17cmの破片。表面には「珎縣主廣足(ひろたり)作」の6文字が、釘のような先端の尖がったもので刻まれていた。珎縣主一族の「廣足」という人物が、瓦を寄進したことを示すという。
珎縣主については、正倉院(奈良市)に保管されている正倉院文書で、奈良時代の天平9(737)年の税に関する記録「和泉監正税帳」に郡司として記されているが、廣足の名は見つかっていない。
和泉寺跡は現在の地形の状況から、220m四方の規模を持つ古代寺院と推定されているが、建物跡などは見つかっておらず、実態は不明だった。
瓦は4月10日~5月9日、大阪府河南町の府立近つ飛鳥博物館で公開される。
[参考:毎日新聞、共同通信]
過去の関連ニュース
2009.11.27和泉寺跡 寺院を裏付ける人名瓦「坂合部連前」が出土
昨年11月に和泉寺跡から、8世前半紀の「坂合マ連前」(さかいべのむらじまえ)と人名が刻まれた瓦が見つかっていたことが分かった。(略) 「和泉国府」推定地の東にある同寺は7世紀後半の創建で、一帯の中心的な寺院だったとみられる。和泉郡司の茅渟県主(ちぬのあがたぬし)氏が建立したとの説もあるが、文献に登場せず実態はわかっていない。(略)
としていた、今回「珎縣主」と記された瓦が見つかったことにより、茅渟県主が同寺を建立した可能性が一層高まった。
出土した瓦は縦37cm、横17cmの破片。表面には「珎縣主廣足(ひろたり)作」の6文字が、釘のような先端の尖がったもので刻まれていた。珎縣主一族の「廣足」という人物が、瓦を寄進したことを示すという。
珎縣主については、正倉院(奈良市)に保管されている正倉院文書で、奈良時代の天平9(737)年の税に関する記録「和泉監正税帳」に郡司として記されているが、廣足の名は見つかっていない。
和泉寺跡は現在の地形の状況から、220m四方の規模を持つ古代寺院と推定されているが、建物跡などは見つかっておらず、実態は不明だった。
瓦は4月10日~5月9日、大阪府河南町の府立近つ飛鳥博物館で公開される。
[参考:毎日新聞、共同通信]
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としていた、今回「珎縣主」と記された瓦が見つかったことにより、茅渟県主が同寺を建立した可能性が一層高まった。