歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

大阪府和泉市・和泉寺跡 8世紀前半に泉南を統治した地元豪族名「珎縣主」の瓦が出土

2010年03月25日 | Weblog
 府教委が25日、和泉市府中町の和泉寺跡で、8世紀前半(飛鳥時代末-奈良時代前半)に泉南地域を治めた有力豪族「珎縣主(ちぬのあがたぬし)」と記された瓦が発掘調査で見つかったと発表した。同寺は文献に記録がなく「幻の寺院」とされてきたが、今回の調査で地元豪族が建立した可能性が高まった。
 出土した瓦は縦37cm、横17cmの破片。表面には「珎縣主廣足(ひろたり)作」の6文字が、釘のような先端の尖がったもので刻まれていた。珎縣主一族の「廣足」という人物が、瓦を寄進したことを示すという。
 珎縣主については、正倉院(奈良市)に保管されている正倉院文書で、奈良時代の天平9(737)年の税に関する記録「和泉監正税帳」に郡司として記されているが、廣足の名は見つかっていない。
 和泉寺跡は現在の地形の状況から、220m四方の規模を持つ古代寺院と推定されているが、建物跡などは見つかっておらず、実態は不明だった。
 瓦は4月10日~5月9日、大阪府河南町の府立近つ飛鳥博物館で公開される。
[参考:毎日新聞、共同通信]

過去の関連ニュース
 2009.11.27和泉寺跡 寺院を裏付ける人名瓦「坂合部連前」が出土
 昨年11月に和泉寺跡から、8世前半紀の「坂合マ連前」(さかいべのむらじまえ)と人名が刻まれた瓦が見つかっていたことが分かった。(略) 「和泉国府」推定地の東にある同寺は7世紀後半の創建で、一帯の中心的な寺院だったとみられる。和泉郡司の茅渟県主(ちぬのあがたぬし)氏が建立したとの説もあるが、文献に登場せず実態はわかっていない。(略)
 としていた、今回「珎縣主」と記された瓦が見つかったことにより、茅渟県主が同寺を建立した可能性が一層高まった。
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京都府宇治市・平等院鳳凰堂 国宝壁画「仏後壁」に描かれた舞楽は延喜楽と判明

2010年03月25日 | Weblog
 平等院(京都府宇治市)は24日、鳳凰堂内本尊阿弥陀如来坐像の背後にある国宝壁画「仏後壁」の調査で、壁画に描かれた舞楽の墨の下絵線が見つかり、この舞楽の演目は平安期に作られた「延喜楽(えんぎらく)」(注1)であることが確認されたと発表した。仏後壁は1053年に藤原頼通(992-1074)が鳳凰堂を建立してから数年後の完成とされ、人が舞楽を踊る様子を描いた絵としては現存最古という。
 調査は独立行政法人「東京文化財研究所」により行われた。仏後壁は平安時代中期(11世紀中ごろ)の作品と推定され、幅約3・7m、高さ約3・4m、計11枚で構成。左から4枚目に、襲装束(かさねしょうぞく)、鳥兜(とりかぶと)などを纏い、舞台で手を広げる舞人や笛と打楽器などの奏者が描かれていた。近赤外線を当てたところ、肉眼では見えなかった墨の下絵線の跡が浮かび上がり、一枚の絵で舞の振り付けが動画のように表現されていた。左右の腕を斜めに大きく広げて舞う姿と原画の緑色の衣装が延喜楽の特徴と一致したという。
 延喜楽は平安期の舞楽家、藤原忠房(?-929)が作曲した舞と伝えられ、慶祝の意味を持つ。現在も宮中行事などで舞われており、約千年にわたり、ほぼ変わらぬ形で受け継がれてきたことが明らかになった。
 平等院では27日午後4時から「極楽浄土の調べ」を開く。鑑賞には拝観料が必要。
[参考:京都新聞、共同通信、産経新聞]

(注1)延喜楽は、朝鮮から日本に伝わった雅楽の一種である高麗楽に属する代表的な作品。
 ㈱OLDSEAから発売されているDVD「生きた正倉院 雅楽」にも延喜楽が収納され、映像で観る事ができる。

過去の関連ニュース
 2009.1.24平等院鳳凰堂・仏後壁 極楽浄土図の全容が明らかに 藤原頼通も描かれる?
コメント (2)
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