歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

豊橋市・境松遺跡 東三河最古の古墳(方墳)を確認

2010年03月10日 | Weblog
 豊橋市教委は9日、同市牟呂町境松地内の境松遺跡発掘調査で古墳時代初頭(3世紀)の方墳1基を確認したと発表した。東三河地方最古の古墳となるこの地域にその後築かれる大型前方後円墳につながる古墳が確認できたとしている。
 方墳は、一辺10mの方形周溝墓方墳で、周囲には幅1m、深さ約1mの溝が巡らされていた。盛り土はすでに削り取られ、埋葬施設もなかった。これまで確認されている東三河地方最古の古墳は、今回の方墳から約500m南の全長55m前方後円墳の市杵嶋神社古墳(いちきしまじんじゃこふん)で築造は4世紀とみられている。
 また、同方墳の溝からは装飾を施し儀式などに使ったとみられる高さ約25cmの加飾壺(かしょくつぼ)がほぼ完全な形で見つかった。口の部分にヘラのようなもので羽状模様が刻まれた東海地方特有のもので、近畿や尾張地方の当時の古墳からも同じような壺が見つかっている。また、底に孔(あな)が開いており、埋葬の際の儀式に使用されたとみられる。弥生時代の三河地方にはなく、古墳の祭祀とともに近畿、尾張地方から伝えられたとみられる。
 今回の調査では、同方墳ほか、弥生時代後期の方形周溝墓や弥生時代中後期の集落、古墳時代末期の縦穴住居15棟も検出された。
 現地説明会が14日午前10時半と午後2時に開かれる。
[参考:東愛知新聞社、毎日新聞、読売新聞、東日新聞]



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鎌倉市・鶴岡八幡宮 源実朝ゆかりの「隠れ銀杏」折れる

2010年03月10日 | Weblog
 関東地方では9日夜から10日未明にかけて急速に発達した低気圧の影響で、季節外れの雪や強い風雨に見舞われた。
 10日午前4時40分ごろ、神奈川県鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮の本殿前にある神木の「大銀杏」(県指定の天然記念物)が根元から折れているのを警備員が発見した。同八幡宮関係者は「あり得ないことだ」と茫然としている。
 鶴岡八幡宮によると、大銀杏は樹齢推定千年で高さ約30m、幹の周囲は6.8m。大銀杏は、同八幡宮のシンボル的存在で、建保7年(1219)1月27日大雪の日、鎌倉幕府三代将軍源実朝が僧侶の公暁に暗殺された際、公暁が大銀杏の陰に隠れていた伝えがあることから「隠れ銀杏」(注1)とも呼ばれている。1955年に県の天然記念物に指定された。
 2月以降の雨で地盤が緩んでいたことに加え、9日夕からの強風が原因と指摘。雪まじりの風は、通常の数倍の力がかかるとされ、傾きを支えられずに折れたとみられる。土壌が薄い石段脇の斜面に立っていたことも影響したらしい。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞]

(注1) 鎌倉時代の史料には、公暁が銀杏の陰に隠れたとは記されていない。江戸時代になって作られたとの説がある。

鶴岡八幡宮の「大銀杏」折れる 強風が原因か(共同通信) - goo ニュース
鶴岡八幡宮の大イチョウ倒れる 「実朝暗殺の舞台」(朝日新聞) - goo ニュース

追記
2010.3.17 大銀杏再生計画は3段構えで実施 
 ①倒れた幹を根元から4mの部分で切断し、元の場所から7m左(西隣)に移植して根付かせる。(16日に実施済み)
 ②残った根から「ひこばえ」と呼ばれる新芽が出るのを育てるもので、自然に芽吹くのを待つ。
 ③挿し木。400本の挿し木を作っている。発根促進剤に侵し、育苗箱に入れて温室で根を出させ、畑で1mの苗木に育てる。(1年くらい発育状況の様子を見る)
[参考:読売新聞]

鶴岡八幡宮の大イチョウ、7m西に植え替え(読売新聞) - goo ニュース
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松原市・河合遺跡 奈良時代の役所跡、長さ50mの建物を含む10棟が出土

2010年03月10日 | Weblog
 大阪府松原市教育委員会が9日、河合遺跡(松原市河合)で奈良時代の大規模な建物跡10棟が見つかったと発表した。当時、付近は河内国丹比郡(たじひのこおり)と呼ばれており、郡衛「丹比郡家」の可能性があるという。
 見つかったのは地面に穴(直径30~40cm)を掘り、柱を直接埋める掘っ立て柱建物跡で、数度にわたって建て替えられており、柱が沈み込まないように穴の底に板を敷くなどの工夫もされていた。3棟は建て替えられたとみられる。瓦も出土しており、瓦葺の建物だったとみられている。出土した土器などから、8世紀前半から半ばにかけて建設されたと推定される。
 建物はコの字形に配置され、南北に細長い建物は幅3m、長さ約50mの規模。北側と南側には東西に長い建物の一部とみられる柱穴が確認された。奈良時代の役所は、敷地を長屋や回廊で正方形に囲うのが一般的で、今回見つかったのは約50m四方の役所の東側と推定されるという。東側には倉庫跡2棟もあった。
 調査区域の南側約250mの地点では、昭和62年の発掘調査で大規模な人工の運河「丹比大溝」が確認されており、溝を管理する役所とみている。
 円形の硯や「吉」と墨書された須恵器も出土した。
 現地説明会は行われない。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞] 
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古河市・川戸台遺跡 東日本最大級の「製鉄所」跡と判明

2010年03月10日 | Weblog
 茨城県古河市教育委員会は9日、昨年10月から進めている奈良・平安時代の製鉄遺跡として知られている川戸台遺跡(同市牧野地)の発掘調査を遺跡の一部に当たる幅7m、長さ80mで実施し、9世紀初め~10世紀の平安時代、約100年にわたって鍋などが生産されていた東日本最大級の「製鉄所」と判明したと発表した。
 今回の調査区域から廃棄された大量の鋳型片などが発見された。その形状と厚い堆積層(約80cm)から極めて大規模な「製鉄所」跡であると推測されるという。鋳型片のほか、鉄滓など5・5トンを掘り出したが、さらに大量の鉄滓が残されているとみられる。また、鉄滓が残されていた鋳鉄作業所は何層にもわたる整地跡が残っており、鋳型の材料となる粘土を採掘した跡も二カ所発掘されていることなどから、長い期間にわたって全国的にも珍しい大規模な古代製鉄遺跡とみている。
 武器類が出ておらず、鍋などの製造に特化されていたとみられる。出土した鋳型の破片は、蝦夷制圧のために編成した軍団が使用していた鉄鍋の特徴と一致。9世紀頃の寺院や役所で使われていた鉄製三足鍋、香炉などの鋳型も発見され、秋田市の秋田城や宮城県多賀城市の多賀城、多摩ニュータウン(東京都)、神奈川県平塚市などから出土した鉄鍋などとも特徴が一致した。
 長期間製鉄が続けられたことについて、良質な砂鉄と鋳型に使う川砂が容易に採取できたことと、隣接する渡良瀬川を舟運として利用したとみている。
 9世紀頃の大規模な製鉄遺跡は福島県南相馬市などでも発見されているが、それよりも大きい規模で、蝦夷制圧を支えた重要な製鉄基地だったと考えられている。
 同課は13日(土)、現地説明会を開く。(川戸台遺跡[牧野地・クリーンセンター東側)
 午前10時半、午後3時半の2回。(雨天の場合14日に延期)
[参考:産経新聞、東京新聞、読売新聞、古河市HP]



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