歴歩

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岡山市・造山古墳 周濠を確認 ミサンザイ古墳(堺市)と似た築造方法だった

2010年03月17日 | Weblog
 岡山大は17日、全国第4位の規模を持つ造山古墳(岡山市北区、5世紀前半、全長約350m)を発掘調査中の岡山大学新納教授の研究チームにより周濠の存在がほぼ確実となり、天皇陵と比べても遜色のない古墳であることがわかったと発表した。前方部の南側と、後円部の東側を発掘し、いずれも粘土状の黒土が堆積した周濠を確認した。
 古墳の後円部東側の20mほどはなれた水田を発掘し、土の層の重なり具合を調査した結果、周濠の存在がほぼ確実となった。また、水田の畦道となっているところが、濠を形作る堤の名残とみられ、堤(高さ約0・35m、幅約8m)の存在も確認された。築造時はもっと高かったと考えられるという。墳丘と堤との距離から周濠の幅は約20mあったと推測。また、後円部と前方部では標高差が3・7mと大きいため、周濠の途中で段差があったとみられる。前方部の周濠の幅は26.5mとみられる。
 岡山県を中心とした吉備地方は弥生時代から古墳時代にかけて、独自性を持った地域勢力があったといわれ、日本書紀にも吉備勢力の反乱伝承がある。
 同古墳と同じ時期に造られたとされる堺市の上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵、墳長360m)など、畿内の天皇陵とよく似た築造方法だったことになり、造山古墳の被葬者が畿内と同盟関係にあった大首長だった可能性が高まったとする。
 現地説明会は20日午後1時から開かれる。
[参考:共同通信、読売新聞、産経新聞、RSK山陽放送、毎日放送]

岡山の造山古墳、畿内と同盟関係の大首長?(読売新聞) - goo ニュース

過去のニュース・情報
 2009.3.22 造山古墳 ミサンザイ古墳より築造時期が古い可能性も



キーワード: 岡山市・造山古墳

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京都市下京区・近鉄百貨店跡地 平安時代の池跡が出土、貴族の邸宅の庭園跡か

2010年03月17日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所が、同市下京区烏丸通七条下ルの近鉄百貨店跡地を発掘調査した結果、平安時代の池の跡が見つかった。
 護岸のためにこぶし大の石を細かく敷いた「州浜」が、約15mの弧を描くような形状で確認された。大正―昭和初期に建てられたビルの基礎があったため、池全体の大きさは不明だが、池の中心は30cmほど低くなっており、底の土は粘土質だった。池には水を引き入れた跡がなく、近くで平安―室町期の井戸がみつかったことから、自然に水が湧いていた場所を庭園にしたとみている。貴族の邸宅にあった庭園の一部とみているが、所有者は不明。池があった場所からは鎌倉時代の建物跡が見つかり、庭園として使われたのは短期間と考えられるという。
[参考:京都新聞]



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福井県勝山市・平泉寺白山神社 僧侶屋敷跡から15~16世紀頃の数珠(水晶片)が出土、寺内で加工か

2010年03月17日 | Weblog
 市教委は16日、平泉寺白山神社(同市平泉寺町平泉寺)から南へ約200mの「南谷」と呼ばれる場所の僧侶屋敷跡から、室町時代後期(15~16世紀ごろ)に数珠の製作に使われたとみられる六角形の砥石(縦8.5cm、横5.5cm、厚さ1cmの粘板岩製)と、加工途中の水晶の破片(0・5~2cm大)数個が見つかったと発表した。砥石には、水晶を研磨したとみられる溝が残っていた。中世の数珠の製造跡は一乗朝倉氏遺跡(福井市)など国内で数カ所確認されているが、寺内で専属職人が作っていたとみられる全国でも珍しい出土例という。
 平泉寺白山神社の前身の平泉寺は、養老元年(717年)泰澄によって開山と伝えられる天台宗の寺。最盛期の室町時代後期には、6千の僧侶屋敷を持つ北陸地方の一大勢力だった。天正2年(1574年)一向一揆勢に焼き討ちされ衰亡した。
[参考:共同通信、毎日新聞、中日新聞]

過去のニュース・情報
 2007.5.10 福井県勝山市・白山平泉寺 景徳鎮の白磁観音像が出土
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