歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

井原西鶴「好色一代男」 淡島寒月所有の1682発刊本が見つかる。紅葉のはがきが添付

2010年03月14日 | Weblog
 今朝(3月14日)の読売新聞朝刊に「紅葉と露伴が愛読『好色一代男』の実物」と題して、明治の文豪、尾崎紅葉(1868-1903)と幸田露伴(1867-1947)らが、友人の淡島寒月(1859-1926)から借り、読みふけった井原西鶴(1642-1693)の『好色一代男』の実物(1962年刊)が見つかったとの記事があった。紅葉が寒月に「西鶴の本はもう少し貸してほしい」と頼んだはがきが添えられているという。
 寒月は日本橋馬喰町4丁目に生まれ、作家、画家、並びに古物収集家であったらしい。
 『好色一代男』の上方版は天和2年(1682)、江戸版は貞享4年(1687)に発刊された。したがって、淡島寒月の所有していた『好色一代男』は上方版である。読売新聞の記事には実物の写真が貼付されており、右に文が左に挿絵がある。挿絵は蒔絵師源三郎といい、また西鶴自筆ともいうとしている。
[参考:読売新聞、goo wikipedia]

「好色一代男」これが紅葉、露伴が読んだ本(読売新聞) - goo ニュース
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小野市・小堀城跡 1辺の長さ約60mの土塁を確認

2010年03月14日 | Weblog
 中世の大規模な平城である小堀城跡(小野市河合中町)で、1辺の長さが約60mにわたる土塁が確認されたことが、市立好古館(同市西本町)の調査で分かった。
 調査によると、南北約60m、北端から西へ約5mと東へ約8m、南端から東へ約10m分を確認。土塁の下部幅約8~10m、上部幅約1~2m、高さ約2・5m。東側をこの土塁で「コの字」で囲んだ部分に城主屋敷を含めた主郭があった可能性があるという。60mの土塁には、南北約20mごとの計2カ所に、周囲より0・5mほど低い場所があることを発見し、上部幅が約1~2mと狭いことから、土塁の低くなった地点で人が防備に当たり、土塁上部は柵で守備をしていたのではとみている。
 この土塁の南約5m地点にも、東西約27m、西端から北へ約8mにわたる別の土塁も発見した。
 好古館によると、小堀城の城域は東西約160m、南北約200mとされ、当時の守護職級の城の規模。構造は明確ではないが、「加東郡誌」などによると、室町時代初めごろに播磨国守護職の赤松氏の一族・三枝(光枝)氏が建てた、とされる。
 土塁の発見などから、城域は6つほどの区画に分かれる可能性があると推測する。
 14日午前10時から現地説明会が開かれる。
[参考:神戸新聞、小野市HP、2010.3.5毎日新聞]



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