カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

多来多来 本店

2014年03月02日 | 京都
「時、満つる時。」

此のような公けの場において、あえて妙なことを述べるようではあるけれど、誰しもが、好きだ何だと絶賛するものに対して常々抱かされる思いというのは、先ず反射的な反感であり、そして実際のところ、当たり障りなく、無難でしかない其の中身に、やはりがっかり失望させられてしまう予想通りの残念な結果でしかないことが多かった。そう、此れまでは。

だがしかし、其の様なバイアスのかかった斜め目線すら軽々と凌駕してしまう、本当に好い店というのも、世間には実際に存在する、其れがまさに此の店だったのである。

昔からの馴染みであるという、ただ其れだけの理由によるものではなく、本心から此の上なしと長らく贔屓にしていた、素晴らしく美味しい焼肉屋が嘗て在り、予告もなく、突然に其処が閉店してしまってから、もう一年近くになる。

そもそも焼肉という食べ物とは、まだ最後まで調理され切ってはいない生肉を供されるという、字義通りの生々しい関係性が在るからだろうか、何処か其処に、他のジャンルの料理を提供する店とはちょっと違う類の親近感、信頼感を求めてしまう、そんな嫌いは、きっと誰しも無きにしも非ずであろう。

当然のことながら、生肉であること其れ故に、事前の仕込みや飾り付け、提供間際の火入れによる誤魔化しなどは、およそ効果など発揮出来ず、大袈裟に誠実さ云々などと言い立てずとも、一見して其の素材、そして店の姿勢の正直さというものが、如実に其処には現われる。

そして正直に述べるなら、所謂繁華街に在るそこそこ評判の焼肉屋において、心底満足させられたような憶えなどおよそなく、ただ愛想と元気がいいだけで、本当に良いものを提供しようという気概を感じたことも、其の様な処ではおよそない。

だが、だからといって、今はもうない、嘗ての贔屓の店に心情的に義理立てなどして、此処以外の焼肉は此の先もう要らないなどと言い切れる程の潔さは残念ながら未だ身に付いてはおらず、折を見ては、あらゆる面においてわだかまりなくお付き合い出来る、新たな出会いを求め、多くはない心当たりを、ぽつりぽつりと打診してみてはいた、此処一年、其の様な侘しい身の上であった。

そして、あまりの人気振りに、少々腰が引けていたというのが正直なところであった此の店を、いよいよ予約を取ってまで訪問するにあたり、あえて冷静に、重々に公平な判断を心掛け臨んだところ、意外にもすんなりと、自然と馴染んだ心持ちにさせてくれた、其れが不思議なくらいであった。

清潔感漂う、今時の造りの程好く明るい店舗、駐車場は広く、入店しても無駄に元気な掛け声など浴びせられることはない。意外にしっとりとした雰囲気漂う其の空間ではあるけれど、だからといって気負わされるようなところも、遠慮させられるようなところもおよそない。其処に特化した個性はないながらも、其の佇まいに悪いところなどおよそ見当たらず、だが、物足りないと思わせるようなところも不思議とないのである。

其れはきっと、眼には映らぬ其の空気、何より、日々良いものを提供しているという自負、そして今日も、間違いのないものを提供出来るという自信によって、其の空間が隙間なく満たされているからなのだろう。

心身共に此の上なく満たされて、さらに何度か通い詰め、此の先いつ寄っても此方の期待と信頼を裏切ることなく、たとえ何か失敗や行き違いがあったとしても、其れでも其処に誠意だけは垣間見える、此の店がいつもそう感じさせてくれたなら、きっと末永く、最期の時まで付き合って行くことが出来るような、そんな期待を抱かさせてくれる、おそらく今日、長らく捜し求めていた其の店に、また巡り合うことが出来たのだろうと、仄かに思う。

多来多来 本店焼肉 / 淀駅伊勢田駅向島駅
夜総合点★★★★ 4.5



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