「タルコフスキーの、髭。」
今度こそはゆっくり本を読むのだと、おおよそ無作為に並んだ店の棚から何となく面白そうかと選んだのは、ロシアの映画監督であるタルコフスキーの日記だった。
そもそもが長居するつもりではあるけれど、それにしても通して読むにはあまりに分厚いその本の、適当に開けたそのページの記述というのが、既にうろ覚えながら、このようなことだった。
「昨日は酒を飲み過ぎた。どうやら酔って髭を剃り落としてしまったらしい。
色んな証明書を見てみると、どの写真にも髭がある。
また髭を伸ばさなくてはならない。」
タルコフスキーって、こんなに笑える人だっただろうか?
中学生の頃、映画「サクリファイス」を観て、映画というのはこんなにも真面目に作っていいものなのかと感心し、半ば心酔し、心密かに将来は映画監督に成るのもいいかも知れないとさえ思わせた、そんなシリアスなあの監督の意外なその一面は、それが冗談であろうが本気であろうが、更なる好感をカゲロウに抱かせたそのことに違いはなかった。
長閑なその時間、長々と、そして深々と腰掛けていたソファから低いテーブルに載り出して、溶けかかったアイスクリームにエスプレッソを滴らせ、思いがけず本格的だったその酸味にちょっと驚く。
好評だと聞くブルーベリーのフローズンにもそこそこの数の実が粒のまま底に沈んでいて、その甘酸っぱさは果実そのもの、甘い氷とのそのギャップがちょっと酸っぱ過ぎるくらいに本格的な飲み物だ。
文学にせよ映画にせよ、そして更にはスポーツにせよ、どうしてロシア人というのは、人間がこうも興味深いのであろうか。
やはり大きくはその政治的、社会的抑圧というものが、その人をより深い存在にしているのだろう。
おおよそ生き物というもの、その存在というのは、何もかもに恵まれている、そんな状態であるよりは、少々飢えているその方が、実は凛々しく美しいものなのだ。
自らの日々の飽食は棚に上げ、カゲロウはそう独りごちる。
どうやら夕方になって人も増えてきた。
そろそろ日も翳り、外の熱気も冷めてきた頃合だろう。
その日、存分に読書に勤しむことのできたカゲロウは、充分な満足を得て少し混んできた店内を後にした。
今度こそはゆっくり本を読むのだと、おおよそ無作為に並んだ店の棚から何となく面白そうかと選んだのは、ロシアの映画監督であるタルコフスキーの日記だった。
そもそもが長居するつもりではあるけれど、それにしても通して読むにはあまりに分厚いその本の、適当に開けたそのページの記述というのが、既にうろ覚えながら、このようなことだった。
「昨日は酒を飲み過ぎた。どうやら酔って髭を剃り落としてしまったらしい。
色んな証明書を見てみると、どの写真にも髭がある。
また髭を伸ばさなくてはならない。」
タルコフスキーって、こんなに笑える人だっただろうか?
中学生の頃、映画「サクリファイス」を観て、映画というのはこんなにも真面目に作っていいものなのかと感心し、半ば心酔し、心密かに将来は映画監督に成るのもいいかも知れないとさえ思わせた、そんなシリアスなあの監督の意外なその一面は、それが冗談であろうが本気であろうが、更なる好感をカゲロウに抱かせたそのことに違いはなかった。
長閑なその時間、長々と、そして深々と腰掛けていたソファから低いテーブルに載り出して、溶けかかったアイスクリームにエスプレッソを滴らせ、思いがけず本格的だったその酸味にちょっと驚く。
好評だと聞くブルーベリーのフローズンにもそこそこの数の実が粒のまま底に沈んでいて、その甘酸っぱさは果実そのもの、甘い氷とのそのギャップがちょっと酸っぱ過ぎるくらいに本格的な飲み物だ。
文学にせよ映画にせよ、そして更にはスポーツにせよ、どうしてロシア人というのは、人間がこうも興味深いのであろうか。
やはり大きくはその政治的、社会的抑圧というものが、その人をより深い存在にしているのだろう。
おおよそ生き物というもの、その存在というのは、何もかもに恵まれている、そんな状態であるよりは、少々飢えているその方が、実は凛々しく美しいものなのだ。
自らの日々の飽食は棚に上げ、カゲロウはそう独りごちる。
どうやら夕方になって人も増えてきた。
そろそろ日も翳り、外の熱気も冷めてきた頃合だろう。
その日、存分に読書に勤しむことのできたカゲロウは、充分な満足を得て少し混んできた店内を後にした。
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