カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

プテカ・ラ・ランテルナ

2011年01月22日 | 大阪
「アラン・トゥーサンに、会いたい。」

その日、ホンモノを聴くために大阪を訪れた、そうであるからには、あらゆるモノ、あらゆる用件を、ホンモノで埋めてしまいたい、可能な限り、そう努めるのがスジである、そう思えた。
だからといって、此処、プテカ・ラ・ランテルナの料理人が、外国人である、それ即ち、その料理はホンモノである、そのように考えるのは、あまりにも短絡的である、その事に思い至らない訳ではないけれど、期待できる可能性、その確率は、まずまずのはず、そこから先は運次第、そう判断するのは、そう無謀な選択でもあるまい。

今夜の、アラン・トゥーサンのライブ。
アメリカ深南部、ある時期の、ニューオリンズ黒人音楽の立役者、彼自身に、世界的な知名度を持つヒット作というのはないものの、彼の仕事を知る者からの、彼に対する支持、それは、絶大である。
そんな彼が、度々日本を訪れ、そのピアノ・ブルーズを演奏しているなどとは、以前から知ってはいても、ちょっと想像がつかない、別世界の出来事のようである。
それは、料理で言うと、外国人シェフが、本国そのままの料理を、この日本の地で提供する事と同じく、非常な違和感、それ故の非日常性を以って、此処、日本に生まれ、此処、日本に住む者、その心に訴えかけ、迫り、驚きを与えてくれるであろう、そう期待させるものがある。

ただ、此処、プテカ・ラ・ランテルナに抱く、訪れる前の一抹の不安、それはやはり、大型商業施設、ブリーゼ・ブリーゼ隣の、一等地的この立地での、良くも悪くもの、客の多さ、その意見。
つまり世間によって、こなれてしまった、もしくは削られてしまったであろう事を予感させる、その風味。
つまり、日本に住む者にとっての、当たり障りのない食事、その調理法の卒のなさ。
そして、当たって欲しくない予想というのは、えてして当たってしまう、そういうものである。
それは勿論、万人受けする、良くも悪くもの、人当たりの良さであり、それこそが、より多くの人から求められる料理、そうであるのかもしれない。

だが、ホンモノとは、そういうモノなのであろうか?
その夜、アラン・トゥーサンは、フル・バンドで演奏した。
そこに予感した、一抹の不安、それは、あの微妙な音の、もしくは、さらに言えば、音のないそのニュアンスを、フル・バンドという形態で、果たして在るべき姿で表現する事が出来るのであろうかという、後に明らかになる杞憂であった。
だが事もなく、ホンモノである彼は、そのような杞憂モノともせずに、あらゆるスタイルのピアノを弾き切った。
バックの演奏、音圧がどうであれ、彼の絶妙のアレンジ、その空気は、潰れてしまうという事がない。
そうであるべき所では、他の楽器の音をほとんど無くし、ピアノのコード、そしてメロディを、微細に、そして、確かに、活かす。
何故、黒人の指先だけに、あのリズム、あのニュアンスが宿るのか、一度気付いてしまった者にとっては、認めざるを得ない、そのある種の厳然たる事実に、見惚れ、聴き惚れる。
それは、いくらか地味に見えたとしても、ハッキリしたビジョンを持つ者であるからこそ出来る、ワンマン・ショー、荒業である。
そして同日、此処、プテカ・ラ・ランテルナに、そのホンモノがあったのか?残念ながら、そうとは言い難い。

例えば、同じく南イタリアの料理を提供する料理店、オマッジオ、此処の料理は、良い意味で、容赦がない。
こちらは大人しげな風貌の、日本人のシェフであるが、料理のほうは、これが本場の味なのであろうと思わせる、ある面、豪快な、インパクトのある風味、そして外見である。
それは、日本人であるが故に、ある種、届きようのないモノに到達しようと、非常な冒険を試みている、その過程、そうであるのかもしれない。
おそらく、プテカ・ラ・ランテルナは、その逆で、異国である日本の食文化に合わせ、その地点まで、ある意味、降りてきてしまっている、そう感じるのは、日本人として、卑屈な事なのであろうか。

そう思うと、アラン・トゥーサンの、いかにもナチュラルな異邦人ぶり、ホンモノぶりは、驚きである。
その演奏は、聴く者に対するサービス、それは忘れることなく、しかし、媚びることはない。
今現在、自分の演奏したい曲だけを、自己満足的に演奏するのではなく、観客が聴きたいと思うであろう曲、且つ、自分も演奏したいと思う曲を、ランダムに、澱みなく、メドレーで奏でていく。
誰もが学生時代に耳にした憶えのある、クラシックの曲から、ファンク、ブルーズまで。
当時、彼が若かりし頃、最も影響を受けたという、プロフェッサー・ロングヘア、そのファンク・ピアノ・ブルーズは、もし、壊れている鍵盤があるのなら、それを使わず演奏しても、そのグルーヴに何の遜色ももたらさないという、驚異のピアノ演奏である。
その曲が、背筋の伸びるような古典音楽と、何の違和感もなく、今、アラン・トゥーサンによって、メドレーされる。
真骨頂のブルーズ・ファンクでは、まさに列車の進行を思わせる力強いリズムが、独特の和音によって徐々に怪しく濁り、翳り、戸惑い、悲しみに暮れた後、ふいに澱んだ空気が澄んで、夜の闇が晴れ渡り、月の光によって全てが許される、そのような情景が、何度も繰り返され、知らない土地、行った事もないはずの、アメリカ深南部、その空気が、辺りに充満する。

彼の演奏は、確信に満ちていて、例えば彼の仕事で最も評価されているであろう、ミーターズの面々、およそ、そのメンツで、今現在、構成されているバンド、ネヴィル・ブラザーズのライブ、そのメドレーでは明らかに在ったような、今現在の観客に対する媚などは、一切ない、それが潔く、心地良い。
そしてしかし、プテカ・ラ・ランテルナの、今、提供されている、このランチには、仄かにそれを感じてしまう。

お昼はホールを担当しているのであろう、陽気な、鼻歌の途切れない外国人シェフ。
厨房は、若い日本人風の2人が担当している。
ホールの女性は、シェフの奥さんであろうか、非常に親身な、お店と一心同体的な切実さが、その接客、振る舞いから感じられる、そのような気がする。
お店のオペレイションからすれば、おそらく妥当なランチ時のこの配置、成るべくして、自然とそう成ったであろう事は、想像に難くない。
だが、結局それは、結果論的に、ある種の期待を抱いて来た、初めての客を掴むという事に関し、裏目に出ている、その事は、否みようがない。

過剰な、ある意味、暴力的なまでの異国情緒、それを感じ、打ちのめされるであろう事を期待して、外国人シェフの居るという、此処、プテカ・ラ・ランテルナに来た者は、ちょっと肩透かしを食らった気分に陥る、そんな、当たり障りのない料理。
それは丁度、つい先日戴いたオマッジオの料理が、偶然にも、この本日のランチ・メニューと同じく、カジキマグロであった事から、さらに浮き彫りになってくる。
サラダに滴らせたバルサミコ、その量からも、その差は一目瞭然、口にしてみるまでもない。
それが、経費の削減によるものなのか、日本人の好みに合わせた結果なのか、おそらくは、一石二鳥のその手法は、本当にそのシェフ自身が、美味しいと思える料理、その在るべき姿なのか。
本当の自分を加減して人前に晒す事、それが、良かれと思う、それが心遣いであると、言えなくはないけれど、そういう犠牲的精神を内包した、そんな付き合いというのは、おそらく、少なからず自分自身を騙している。
無理をして、他者に合わせるその行為は、あらゆる意味、あらゆる面で、そうそう長続きするものではない、それが真実ではなかろうか。
日本に来たから、日本人に合わせるというのではなく、アラン・トゥーサンのように、自分自身を発揮する、その為に、表現者として何かを作っているのだと、自分自身が思える、そうであってこそ生まれる普遍性であって、それを評価してくれる人は、必ず居る。
結局は、自分の信じる事でしか、人を心から納得させる事など出来はしない、本当の落とし処というのは、実は、そこにしかないというのが、事実である。

もしかすると、夜に作る、彼の料理は、言うまでもなく、そのような出来であるのかもしれない。
此処、日本でありがちな、ありふれた味の南イタリア料理などではなく、普段は開かない、非日常の扉を開けてくれるような、ありふれた日常の怠惰を貪っているだけの人間が、頬を張られて目が覚めるような、そんな類の料理であるのかもしれない。

次回、訪れるのが、いつの事になるか、それはわからない。
出来ればその時、そのような料理に出会えればと、心から期待したい。


Allen Toussaint(http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD19106/index.html 引用)
70年代ソウル/ロック界で、プロデューサー/アレンジャーとして引っ張りダコだったアラン・トゥーサン。
ザ・バンドの「ライフ・イズ・カーニヴァル」からラベルの「レディ・マーマレイド」まで、彼が手掛けたアーティストたちのヒットによって、彼自身だけでなくニューオリンズという町もが世界的な注目を集めた。
音楽都市ニューオリンズで産湯につかり、この町に英才教育を受け、50年代より作曲家/プロデューサー/アレンジャー/ピアニストとマルチな才能を発揮。
ニューオリンズ特有のセカンド・ラインをさらに発展させたビートの上に、会話をしているような掛け合いをみせるホーン・セクションを加えてボトムを強化した、新たなファンク・サウンドを確立させた。
パフォーマーとしては、73年に初ソロ作を発表し、その2年後には大名盤『サザン・ナイツ』をリリース。
ザ・ミーターズのド・ファンキーな演奏をバックに、自身のスウィートでリラックスした歌を乗せ、バイユーのしじまに浮かぶ陽炎のような音世界を展開してみせた。
彼の作り出したサウンドは、ジャンルを問わずさまざまなアーティストたちに影響を与え、現代のポップスの中においても形を変質させながら脈々と生き続けている。


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