カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

ルラション

2011年01月07日 | 京都
「フラニー以上、ゾーイー未満。」

兎に角、肉厚のステーキに、心躍る。
生焼けに見える中程も、頬張ってしまえば、
レアであることを意識させない、絶妙の料理センス。
先の前菜も、スープは兎も角、パテはボリュームたっぷり。
こんな料理は、量にせよ、味にせよ、
ともに来た人と、シェアするのが望ましい。
それは、何故なら、おそらく途中で、飽きてしまうから。
無くなるのを惜しんで、食べるのを遠慮している、そんな場合ではない、
食べても食べても、無くならない、
そんな、贅沢な不満さえ抱かせる、華やか、且つ、豪気な料理。
この店を選んでくれた友人に、感謝したい。

料理と格闘するか、会話を楽しむか、
その加減は、とても、かなり、難しい。
話の出来る相手とは、つまらない、テレビの話など、したくはない。
惜しげもなく、打ち明け話をしてくれる彼女、
自身の経験を、人と分かち合う喜びを知る彼女、
そう、もっともっと、個人的な、そういう話、
その深みに気付けない、そんな人には、欠片も興味を持ってもらえない、
けれども、トコトン聞いてみると、何処か心の奥底で、得心の行く、そんな話。

けれども、実は、そう思っているのは、自分ひとり、心の中で、
「ライ麦畑でつかまえて」の主人公、ホールデンのように、
おそらくそれは、傍から見れば、知的でも何でもない話、
自分が納得いくかどうか、ただ、それだけの話。
少し、アタマのおかしい、気の毒な、ホールデン少年。
彼との違いは、繋ぎとめておいてくれる、妻の存在、
おそらく、ほとんど、ただ、それだけ。

カウンターの奥、灯りはあれども薄暗い、少し低い場所にある、そんなテーブル席。
何の悪気もなく、気を配ってくれている、壁際に直立した、スマートな給仕、
彼はまるで、油断なく目を光らせている、牢屋の看守のようだ。
ワレワレは、見張られている。
クスクスと、含み笑いが漏れる。
彼を背にした友人たちは、意図せず妙な雰囲気を醸し出すその存在に、
おそらく気付いてはいまい。

そんな風情を、デリカシーがないとか何とか、小声で嘲りながら、
実は、ホールデン少年と同じく、自分がいちばん、デリカシーがない。
その時、その場で、様々に気を配ってくれた、彼の心遣い、
その内容に、少し後で思い至れば、まだマシなほうで、
後日、バスタブに浸かりながら反芻し、やっと気付く、そんな間もなく、
おそらくは、消え去ってしまっているのであろう、あやふやな記憶。
おそらくは、自分が、そんな程度の人間であろうこと。
それがいつも、とても、申し訳ない。

ありがとう。


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