アイリス ふれあい農園

野菜作りを楽しみませんか。定年後の第二の人生の癒しに、家族で野菜を育てる楽しみ、土と戯れて野菜作りでストレス発散。

孫でござんす

2011年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

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私、天狗さんの初孫でござんす、やっと八カ月になり表情も豊かに成りました。暫らくの間日本に帰国していますが四月は大分県日田市、五月は三重県桑名市と多忙な毎日で少しお疲れです。

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パパの膝は大きいから楽チンだ。しかしパパは少し早くイギリスに帰ったのでチョツピリ寂しいがママが居るから大丈夫、それにしても毎日アッチ コッチ連れまわされて皆さんのご機嫌をとる赤ちゃん外交も 結構大変なのだ。

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先日は日田の爺ちゃん婆ちゃんが初節句を祝ってこんな立派な衣装を付けて記念撮影をしてくれた。何だか赤ちゃんスターに成った感じでカッコ良かったので皆さんに披露するね。

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誰もが極楽浄土を求めた

2011年05月09日 | 旅行記

5月6日、ご縁有って京都府宇治市に有る平等院に出掛ける。

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平等院鳳凰堂

十円硬貨でお馴染の平等院鳳凰堂、今から960年程前の永承7年(1052)、栄華を極めた藤原一族の関白藤原頼通が藤原道長の別荘を寺院に改装したものだそうです。当時、お釈迦さんが亡くなられて2000年経つとお釈迦さんの教えが無くなり「末法の世」になり、天災人災で世の中が乱れると云われていました。この末法思想は特に貴族や僧良の中にひろがり死後は極楽浄土に行ける事を誰しも願いました。この鳳凰堂は阿弥陀如来を祀り、建物は朱塗りで煌びやかであり、堂内は雲に乗った菩薩さん(雲中供養菩薩像52体 国宝)が楽器等を持って空を舞う姿をで飾られ極楽浄土を再現したものです。

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鳳凰堂の鳳凰

末法思想は今の世にも当てはまります。お釈迦さんの教え(仏教)を聞くより金儲けが忙しいと毎日あくせくと走り回る私ども、法を説くべくお寺の住職も本業をないがしろにして浮世の仕事に駆け回り、仏教は葬式仏教と化した。末法の世の責任は決して仏教に携わっている方々の責任ではなく一種の社会的現象なのかも知れません。今回の東日本大震災の天災も、福島第一原発事故の人災も末法の世の一コマかと反省させられる。

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見事に咲いた平等院の藤の花

藤原家の栄華を象徴したのでしょうか、この見事な藤の花。しかし夏には花が散り、秋には葉も落とし、冬にはエネルギーを蓄え春に備える事でしょう。この自然の営みの様に東日本の被災された方や産業やインフラも日本民族の魂が根強く有る限り必ず復興をして再び栄える事でしょう、しかしその担保はお釈迦さんの教えを末法にしない事ではないでしょうか。

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多度祭り

2011年05月06日 | 観光案内

5月4、5日は多度大社の神事、多度祭り(三重県指定無形民俗文化財)でした。両日とも好天に恵まれまして祭りを楽しもうと大変な人出でした。

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祭りの行われる参道は人人人で溢れるばかりです。

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馬場に入る神馬です。

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しかし最近の多度祭り、動物愛護団体より馬に興奮剤を飲ます、鞭で馬を叩く、崖を駆け上がる高さが高すぎる等動物虐待に対するクレームが社会問題に成った(現在も動物愛護団体の監視が続いている)。そして祭りを行う青年に対して未成年の青年が酒を飲んで祭りをしているとこれもクレーム。さらに祭りを行う地区の青年が少子化の為居なくなり人材不足、特に騎手を務める青年(中学生や高校生)は尚更です。馬を扱う事に慣れずわずか二カ月足らずの練習ではとても人馬一体とは行かず精彩を欠いています。

以前は馬を扱う人の気迫、馬の意気込み、祭りの時に歌われる伊勢音頭、観客の興奮した眼差しが神社の境内に溢れていたが今は静かな祭りと化した。これも時代の流れでしょうか、昔を知る人は少し寂しく感ずる多度祭りです。

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仏縁

2011年05月03日 | 宗教、信仰

先日私の友人が訪ねて来てこんな話をしてくれました。

或るお寺の住職さんが檀家の人と食事をすると何時も住職の前に座るお婆さんがみえた。そのお婆さんは手が不自由で何時も右手を使ってスプーンで食事をしていた。その姿を見て住職は何時も自分の前に座り、お婆さんの不自由な姿を見て自分が食事をするのが内心いやだったそうです

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村の人が、「あのお婆さん、昔は仏さんや神さんに手を合わす事が嫌な方で、我が強く自分勝手で有名な人だった、しかし或る時食事の準備をしている時お釜の尻に火が付きその火が着物に燃え移り大火傷をしたそうな。その火傷でお婆さんは左手が使えず、右手も親指と小指だけしか動かなくなった。」

信仰深いお爺さんはそんなお婆さんを献身的に看病しやっと自分で食事が出来るまで成ったのですがお爺さんは数年前に亡くなられた。

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そんな話を聞いた住職は或る時お婆さんに

住職 「お婆さんの御主人は仏さんの様な人だったそうだな~」

お婆さん 「いや、仏さんでした。」

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中国からの贈り物

2011年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

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我が故郷多度山です、しかし今日は春霞、いや違います、黄砂の影響でぼんやりとしか見えません。

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員弁川からの黄砂の眺め

今日は日本全体に中国から黄砂が飛来してきました、こんなに黄砂で視界が悪く成ったのも珍しい事です。中国からの黄砂、お隣の韓国では中国からの黄砂に微量の放射性物質(セシュウム)が観測されたと云う事は日本では余り知られていないようです。過去に中国は核実験を行いその時の放射性物質が砂漠に落ち、黄砂と一緒に飛来したのではないかと仮説、有りうる事でしょう。

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みろく苑からの黄砂の眺め

ドンドン広がる中国の砂漠、それに対して中国や日本の企業は砂漠の緑化に取り組んでいます。毎年広大な緑地が砂漠化している、そして砂漠化を食い止める為の緑化作業も進んでする、追いつ、追われつの自然と人間の戦い。しかし砂漠化を促しているのも人間の欲望のツケの様です。中国からの贈り物は何時まで続くのでしょうか。

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