アイリス ふれあい農園

野菜作りを楽しみませんか。定年後の第二の人生の癒しに、家族で野菜を育てる楽しみ、土と戯れて野菜作りでストレス発散。

多度大社の追儺祭

2015年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
1月25日は多度大社の追儺祭(ツイナサイ)でした。多度大社からお招きを頂きましたので神事に参加。



先ずは羽織はかまに衣装を整えて、簡単そうに見えますが慣れないので手伝ってもらいやっと整いました。
その後拝殿で多度大社宮司を始め神職の方々による神事です。
追儺祭とは今年一年の邪気(邪鬼)を払い、平安を祈る行事だそうです。本来は年末に行う神事だったのですが今はこの時期に行われる。



神事の後は参集殿の二階ベランダから邪鬼を払う豆撒きです。節分(2月3日)にも豆撒きを行うのですが今日も振袖姿のお嬢さん達と豆撒きです。



広い境内は参拝者の方々で満員です。随分沢山の豆をベランダから撒いて邪鬼を追い払いました。



僕たち、私たち、豆を拾えたでしょうか、

邪鬼を退治した豆を戴くと健康で幸運が舞い込む一年になる事、間違いなしです。
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菰野富士

2015年01月21日 | 観光案内


菰野町にある小さな富士山、「菰野富士」です。国土地理院の正式地図にも記載されています、富士山と云っても高さは369mしか有りません。そしてこの角度から見ると富士山型ですが方向がずれると富士の型には見えない富士山です。




菰野富士の北側に鈴鹿スカイラインが通っていますが先般から何か工事が始まったので取材に行きました。ここは自然のモミジとツツジが沢山有るので菰野町はここらあたりを整備し、桜も植えて菰野富士を売り出す様です。
重機が唸り声をあげて働いていました。



今までこの付近は荒れていたのでこの看板すら見過ごしていました。



菰野富士の南面には私どもが作った「みろく山道」が有ります。菰野富士に登る最短コースで、最近は多くの人が利用するようになった。



しかし、作ってから約10年にもなるので随分傷んできましたので今日から修理に入りました。傷んだ所の階段のステップの木を変え、落ち葉を

払い、土をならすのですが総て人力ですので結構大変な作業です。



標高312mの所に怪しげな展望台が有ります。これも私どもの手づくの展望台ですが天気が良いとここから伊勢湾のセントレア空港や神島も一望できます隠れた観光スポットです。




展望台の床に案内方位版有りました。



今日は生憎曇っていましたので視界は良くありませんでした。しかし視界が広いので地球が丸い事が実感できます。
一度機会が有ればこの付近を散策してください。この展望台から菰野富士の頂上まではわずかです、しかし山道は有りませんが緩やかな坂ですので何方でも大丈夫です。

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三ヵ月ぶりの京都でした。

2015年01月18日 | 日記
13日は定期検診の為に京都へいく。鈴鹿山脈の石槫峠を越えて滋賀県に入ると一気に「トンネルを出るとそこは雪国」でした。




一気に緊張、ゆっくりと永源寺付近までは慎重に車を走らせる。



今年でお世話になっている京都府立大学附属病院とも10年のお付き合いになる、過ぎた10年は早いものでした。
今回も検査は無事にクリアしました。
病院の前は御所です。



その御所に隣接して三条家ゆかりの梨木神社を今回もお参りさせて頂くのですが、昨年からその境内で工事が始まりました。



三階建てのマンションが建設中です。鳥居の中では工事中のタワークレンやミキサー車が唸りをあげて働いていました。


社寺仏閣の多い京都ですが総ての所が上手く運営されている訳でもなさそうです、荒れているお寺も有るし内職まがいの施設を併設
した社寺が随所で見受けられるのも時代の流れなのでしょうか。
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お伊勢さん参拝

2015年01月15日 | 宗教、信仰
生憎の雨になりましたがお伊勢さん参拝に出かけました。
お伊勢さんと云うと宇治橋有名な内宮にお参りする方が非常に多いのですが本来は天照大神様の食料や経済を
司る外宮の豊受大神様からお参りするのが順序です。



昨年御遷宮を済まされた外宮の社も雨でくすんでいますが神々しい限りです。
調べれは調べる程、知れば知る程に日本の神道は奥が深く素晴らしいものです。



外宮と内宮をお参リ後、ここは猿田彦大神様を祀る猿田彦神社です。猿田彦神社は伊勢神宮の末社では無いのでご遷宮には関係なく
昔からのたたずまいです。



天照大神様を伊勢の地に導かれたと云われる倭姫様をお祀りされている倭姫神社です。ご遷宮が終わったばかりなのでしょうか、黄金色に
輝いていました。
ご遷宮は外宮、内宮のお社だけでなく末社から摂社を含めると膨大な数の社が順次建て替えられていました。
飾り気のない素材だけのシンプルで簡素な建物に研ぎ澄まされた美しさが何とも表現の出来ない日本の美を感ずる。

自然崇拝の日本の神神には誹謗も中傷も風刺もテロも無い、政治に利用されて戦争に突入した神道は本当の神道ではなかったのです。
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桑名の宿

2015年01月10日 | 観光案内
少し時間が出来たので木曽三川の桑名をブラリ、水郷桑名の玄関口である七里の渡し跡を散策しました。


江戸時代の浮世絵画家安藤広重が描いた東海道53次で有名な桑名の宿です。愛知県名古屋市の熱田(宮)から海上で7里(28㎞)が桑名です。
桑名のここ、川口町が七里の渡しの玄関です。当時は木曽三川の治水事業が出来ていなくて陸路で伊勢の国に入る事が出来ず海上を船で桑名に来たようです。

広重の絵にある建物は桑名城の一部でばん龍櫓(バンリュウヤグラ)ですが当然今は跡形も有りません。


桑名市には揖斐川、長良川、木曽川という大きな川が3本流れ込んでいます。写真は揖斐川です、トンボの眼の様な水門が環境破壊か治水事業かで揉めに揉めて作られた長良川河口堰です。



三重県は伊勢の国です、江戸時代のころ一生に一度、お伊勢さんにお参りするのが庶民の夢だったそうです。その伊勢神宮の一の鳥居が伊勢から遥かに離れた桑名市川口町に有る鳥居です、如何に伊勢神宮の神域が広いかが伺われます。そのお伊勢さんですが昨年伊勢神宮は20年に一度のご遷宮でした。ご遷宮の古い用材でこの鳥居も今年新しく立て替えられる事になりました。




桑名と云えば「その手は桑名の焼き蛤」で蛤が大変有名です。昔は木曽三川の河口で沢山採れた蛤も一時は壊滅的に取れなくなりましたが漁協の努力で最近は随分復活してきたそうです。この漁船はシジミ採りの漁船です、朝からシジミ採りに励んでいました。
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