5月6日、ご縁有って京都府宇治市に有る平等院に出掛ける。
平等院鳳凰堂
十円硬貨でお馴染の平等院鳳凰堂、今から960年程前の永承7年(1052)、栄華を極めた藤原一族の関白藤原頼通が藤原道長の別荘を寺院に改装したものだそうです。当時、お釈迦さんが亡くなられて2000年経つとお釈迦さんの教えが無くなり「末法の世」になり、天災人災で世の中が乱れると云われていました。この末法思想は特に貴族や僧良の中にひろがり死後は極楽浄土に行ける事を誰しも願いました。この鳳凰堂は阿弥陀如来を祀り、建物は朱塗りで煌びやかであり、堂内は雲に乗った菩薩さん(雲中供養菩薩像52体 国宝)が楽器等を持って空を舞う姿をで飾られ極楽浄土を再現したものです。
鳳凰堂の鳳凰
末法思想は今の世にも当てはまります。お釈迦さんの教え(仏教)を聞くより金儲けが忙しいと毎日あくせくと走り回る私ども、法を説くべくお寺の住職も本業をないがしろにして浮世の仕事に駆け回り、仏教は葬式仏教と化した。末法の世の責任は決して仏教に携わっている方々の責任ではなく一種の社会的現象なのかも知れません。今回の東日本大震災の天災も、福島第一原発事故の人災も末法の世の一コマかと反省させられる。
見事に咲いた平等院の藤の花
藤原家の栄華を象徴したのでしょうか、この見事な藤の花。しかし夏には花が散り、秋には葉も落とし、冬にはエネルギーを蓄え春に備える事でしょう。この自然の営みの様に東日本の被災された方や産業やインフラも日本民族の魂が根強く有る限り必ず復興をして再び栄える事でしょう、しかしその担保はお釈迦さんの教えを末法にしない事ではないでしょうか。
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