アイリス ふれあい農園

野菜作りを楽しみませんか。定年後の第二の人生の癒しに、家族で野菜を育てる楽しみ、土と戯れて野菜作りでストレス発散。

やっと 一段落です

2009年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

在る、建設関係の方が私に「姉歯建築士の為に設計は大変ですね。」と励ましとも、批評ともとれる話をしてくれた。建築業界は日本中が彼の耐震偽造で国会まで混乱し、激震が走った記録は未だ新しい事です。確かに今までの建築設計行政はザル法でした。ごまかそうと思えば際限なくごまかしがきいた。しかし彼のお陰で建築の総ての責任は設計者(管理建築士)が負わなければ成らなくなりました。逆に云うとそれだけ建築士の資質が問われ、社会的地位も向上するのではと楽しみにしています。

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この分厚い書類はトヨタ系列の某運送会社がいなべ市に建設する「荷捌き場」の建築許可(正式には建築確認通知書)です。私の事務所が設計の契約したのは平成19年の9月でした。そして姉歯事件で建築法規が厳格に成ったのが平成19年6月です。今までなら一ヶ月か二ヶ月も有れば許可が頂けましたが今回は全く書類が通らない。構造計算のズサンさと設計の不備で行政からついに書類を一旦取り下げ、再度設計をやり直して提出するように指導。我が事務所始って以来の失態でお客さんに対する信用は地に落ちてしまった。今まで構造計算をお願いしていた一人は姉歯事件を機会に辞められた、もう一人の方はノイローゼになり辞められた。新しくコンビを組んだ方となかなか息が合わず仕事が遅れたのが大きな原因です。

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某運送会社の荷捌き場の建設用地  この敷地の近くにはトヨタ車体や日本電装の等のトヨタ系の基幹工場が有ります。

仕事を頂いた時は景気も良かったのですが昨年の9月からは一気に景気が冷え込みどん底状態です。トヨタやそれ以外の自動車関連会社はなりふり構わないリストラや経費節約に走った。建設途中の建物も契約解除してでも工事中断は当たり前のご時勢です。

やっと建築許可を頂いたのですが、某運送会社のこの施設もこのご時勢ですから中止に成っても当たり前ですがお陰様で役員会でこの施設は五月の連休までに完成する様にとハッパを掛けられています。四月中の完成も慌ただしい事ですが。

私の生活も表向きは穏やかそうですに見えますが実際にはこの仕事と同じで薄氷を渡る様な人生が続きます。ストレスも溜まったので私は27日から一週間ほど京都で静養に入りますので暫く皆さんとご無沙汰をします。

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今こそチャンス

2009年01月21日 | 社会・経済

1月20日、多度大社の隣にある「豊明殿」で桑名三川商工会賀詞交歓会が行われましたので出席しました。会長の挨拶は「世の中、何処に行っても不景気、この会は不景気に負けず頑張ろう」と云う事で二斗樽を割って景気をつけた。

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しかし皆さんと話をしていると不景気な話ばかり、ある方は「一日に一本の電話も掛かって来ない、仕事の注文が全く無い」とこぼしていた。東海地方はトヨタが咳をすると下請けは肺炎を起すと云われるほどの企業城下町。今回の不景気はトヨタが咳をするどころかインフルエンザにかかったから下請けは瀕死の状態です。毎日非正規社員や正規社員の方が職を失っています。突然の事で本当に途方にくれている方もたくさんいます。しかし転職が有っても今までの所得より落ちるとか、あんな仕事嫌だ、こんな仕事嫌だといって職に就かずボランテイアの援助を受けている方も多く見受けます。

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こんな立派なご馳走が戴けて私は感謝、感謝です。

しかし人も社会もヤル気の無い人を何時までも援助や応援はしてくれません。援助をしてくれないと不足を政治や企業や社会に矛先を向ける方がいますが全くお門違い、ヤル気の無い、無責任人が随分多くなった。正規社員に採用して貰えるのに、税金を払うのが嫌や、社会保険を払うのが嫌や、健康保険を払うのが嫌や、手取り額が多い方が良い。会社に縛られるのが嫌や等と言って自ら不安定な派遣社員を希望して職についた方は今自分の我がままをすっかり忘れている。

お釈迦さんも末法の世の中を嘆いてみます、〈因果応報〉、自分のやった事は必ず自分に返って来る。好い事をすれば好い事が返ってくる。無責任な事をすれば無責任な結果が返って来る。

政治家も本当の事を言うとしっぺ返しを食うので本当の事は云えない、マスコミも本当の事を報道すると袋たたきに遭うので偏った報道をしている。企業は人材を資材と思って使い捨ての雇用していたのも事実。「会社側は働いて頂く、労働者は働かせて頂く」の精神が無くなった昨今。今が心根を入れ替える絶好のチャンスと思うのは私だけでしょうか。

今日は過激な内容に成ってしまった、腹の立つ方もみえるでしょうね。しかしじっくり考えましょう。

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奥深い陶芸の世界

2009年01月18日 | まち歩き

何時もお世話に成っている湯ノ山の「春夏秋冬」さんへお邪魔して陶芸の秘伝を見せてもらう。

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気前の良いご主人さんは早速粘土を取り出し、ロクロを使わずに指先で何かを作りだした。

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有る程度形が出来ると丸い回転台の上に器を乗せて形を整えて完成、意外と早く作れるものだと関心していると

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ご主人は糸の様な物で器を真っ二つ、アッ、もったいないと思う暇も無くご主人は器の断面を見せてくれた、ロクロの様に粘土を回転させず指先で器用に粘土を練りながらバランスよく器は出来ていた、アッパレアッパレ。指先で軽く押し付ける様に作品を造っているようですけれど結構力が要る様で以前主人は腱鞘炎になり手首を手術したとの事です、何事も犠牲が伴うものですね。

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指だけで練りあげて造った急須、指で押した波紋がご主人得意の図柄、味わい深い作品です。

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何から何まで自分の手作り、この炉も総て自前との事、陶芸家は器用なのかな。この炉で湯飲みなら120個程度焼く事が出来るそうです。陶芸家にとって炉は作品の生命線、火の神さんに気に入られないと総て駄作になってしまうのではとよからぬ心配をする。

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店の中は出来上がった作品がズラリと並んでいます。ロクロで造った作品も味わい深い物ですが指で練り上げた物は同じ物が二つと無く、どれを取ってもオンリーワン、総ての作品にご主人の指紋入りが面白い。

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陶器の器に奥さんの山野草のミニ盆栽、夫婦合作の愛情作品は湯ノ山に来られる人の癒しのお土産としてお客さんの人気も高い様です。私が長居をしている内にも何人かお客がみえました、商売の邪魔をしてはと思いご無礼を詫びて帰る。四日市からこの地に来て約7年、しっかりと地元に根付いて後は春夏秋冬に花の咲く時期を待つだけでしょう。

「春夏秋冬」さんのホームページを一度ご覧下さい、湯ノ山の情報も満載されています。

http://www.cty-net.ne.jp/~ceramics/

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魂の故郷 お伊勢さん参拝

2009年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム

1月15日、肌を刺す様な寒い日、日本人の魂の故郷、お伊勢さんに参拝をする。既に平成25年に行われる式年遷宮の準備がいたる所で見受けられました。

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内宮に架かるこの宇治橋も御遷宮の4年前に新しく架け替え、今年の11月には新橋の渡り初めが有るそうです。

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今の橋の下手には既に仮橋が完成していて内宮参拝を済ました方の帰り道に成っていました。

この式年遷宮は何時の時代から始ったのかを調べて見ますと天武天皇がこの制度を定められ第一回の遷宮は持統天皇(690年)によって国家事業として行われたそうです。その後時代が進み戦国時代に入り約120年程遷宮は中断しましたが第41回遷宮は織田信長や豊臣秀吉が造営資金を出して再開されました。その後は徳川幕府が造営資金を出して行われました。明治、大正、昭和の時代に成ってからも国家事業として引き継がれましたが昭和20年に敗戦を迎えましてからはGHQの指令で「国と神道は分離すべし」が決まり、その後は伊勢神宮自身と全国に広がった奉賛会によって新しい体制で行われる様に成りました。

第60回遷宮(昭和42年)の総予算は76億円

第61 回遷宮(平成5年)の総予算は327億円

今回の第62回遷宮(平成25年)の総予算は一千億は遥かに超えるのではないでしょうか

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古い宇治橋の入り口一番左の擬宝珠(ギボシ)は元和5年(1619、江戸時代前期)の銘が刻印されています。

式年とは「定められた年」、「規定された年」と云う意味だそうです。

式年遷宮で新調される装束は525種類、1815点、さらに神刀や鏡等の神宝の調度品は189種類491点の膨大な伝統工芸品が新調され技術が伝えられます。今回の式年遷宮の費用が仮に1300億掛かったしましょう。高いでしょうか。建物から装飾品まで20年掛けて技術の継承が脈々と続く日本の良き伝統工芸継承代として仮に1300億÷20年としますと、一年65億円です。無駄な処に国家予算が使われている事を思えば日本の伝統工芸継承代の65億円は安いと思うのですが如何でしょうか。比べるのが失礼ですが(株)森ビルが六本木ヒルズを17年の歳月と総事業費2700億円投じたそうです。想いはそれぞれ何かの参考に。

伊勢神宮の神々しい神域の中でのお参り、「今年もご神徳を頂けます様に」
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桑名の花街 今いずこ

2009年01月12日 | まち歩き

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安藤広重の浮世絵で知られる東海道53次、「七里の渡し」で有名な桑なの宿、今はその面影をわずかに残すだけですが、この付近桑名の花街として随分以前はにぎわいました。

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夜の撮影で映りが暗いのですがここが「七里の渡し」の港です。名古屋の熱田(宮)~海上で約30Km(七里)で桑名です。当時は木曽三川に橋は無く陸路は使えず船が交通手段だったようです。

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宮からこの鳥居の向こうに有る揖斐川の岸辺に船が着いたのでしょう。

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料理屋旅館の船津屋さんの玄関付近

ここは老舗の料理屋旅館「船津屋」さん、この隣も料理屋旅館の「山月」さん、庶民の私共では足元にも及ばない桑名を代表する高級料理屋さんも今は苦戦の様で「山月」さんは灯りも消えていました。明治、大正の文豪「泉鏡花」はこの船津屋さんで有名な小説「歌行灯」を書いたといわれています。

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うどんで有名な「歌行灯本店」の夜景

この付近、私が若かりし頃(昭和50~60年頃) 、料理屋さんが立ち並び芸者さんをあげて接待の街として大いに繁盛したものです。私も商売にあやかりよく出掛けたものです、芸者さんも三味線を弾き、踊り、優雅なものでしたが時代が変わり今はひっそりしてしまいました。あの当時の芸者さん如何してしまったのかな。しかし街並みは整備され歴史を感じさせます。

栄枯盛衰、諸行無常、有ると思うな親と金、一度はおいでよ桑名の江戸町、川口町。

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