アイリス ふれあい農園

野菜作りを楽しみませんか。定年後の第二の人生の癒しに、家族で野菜を育てる楽しみ、土と戯れて野菜作りでストレス発散。

3.11 その後の震災の爪後は

2012年08月28日 | 社会・経済

今日(8月26、27日)。  2011年3月11日、日本いや世界を驚嘆させた東日本大震災から一年半後の被災地(宮城県女川町)にご縁有って視察に行く。

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ここは東北の空の玄関、仙台空港です。海から僅かな距離に有る飛行場に津波が襲来、巨大な飛行機や資材が流されて行く様子はテレビでも何回か放映されましたが、今は何事も無かった様な一階です。

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この写真の左の丸い柱に「ここまで津波が来た」と記されています。右のパネルに被災した飛行場の様子が展示されていますが、いち早く米軍が滑走路やターミナルの瓦礫を片付けて震災復興の前線基地にして支援をしてくれました、感謝、感謝でした。

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壊れた家が見えますがこの道路沿いは家が立ち並び遠方は見えなかった所ですが現在は草が生い茂り、一見土地が空いている様に見えます。この様な所はいたる所に有り復興には遥かに遠く、やっと瓦礫が撤去されたと云う感じ。

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瓦礫の山はいたるとひ所に有りました。被災地以外の全国で処理して欲しいと野田総理や環境庁は各自治体に呼び掛けたが地域エゴの人々のほとんどの自治会が受け入れ出来ず。ただ東京都知事の石原さんは最初から瓦礫を受け入れ被災地の苦しみを分かち合った素晴らしいリーダシップ示した。

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その後、宮城県女川町の商工会にお邪魔して経営指導員の方より一時間半にわたって震災や津波の凄まじさをスライドを交えて説明して頂く。この写真は高台に有る「女川町地域医療センター」から街を見下ろした写真ですが街の形は完全に消失し唯一件三階建ての建物が横たわっていました。震災の痛ましさを後世に残すのか、いや嫌な思い出になる建物は早く撤去しよう、と意見が分かれている様です。

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高台に有る「女川町地域医療センター」です。右側が海です。センターの建物をよく見て下さい。一階と二階部分でタイルの色が別れていますがこの部分まで津波が来たとのことです。女川の皆さんは医療センターが避難指定場所だったのですがここまで逃げても津波に襲われた、津波の高さは20mを遥かに超えていた。先ず『逃げよ』ですが本当に自然の猛威から逃げる事の難しさを肌に感じた。

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女川町の商工会の方々の努力で出来た仮設店舗です。写真には写って無いのですがこの敷地の右側には銀行や信金の金融機関の仮設店舗も有ります。ここは高校の第二グランドですが最初は国や県や町の行政がバラバラでこの仮設店舗を建てるのも本当に苦労した、しかしやっと日頃お目にかかれない政治家や放道機関やタレントが来て全国にここを紹介してくれたそうです。私達が帰る頃にはNHKの大形放送車が取材に来ていた。

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仙台空港から中部国際空港までは珍しいプロペラ機です。震災復興で建設土木関係は今後10年間は特需で忙しいとのこと。しかし一番気になったのは瓦礫の処理です。報道では瓦礫の処理の目途は経ったので地方で受け入れて貰わなくてもよい様ですが、変な市民団体が放射線で汚染されていない瓦礫までエゴむき出しで反対運動を未だしている。自分だけ良けれは他の嫌な事には手を貸さない、目を背ける、見苦しい国民に日本は成ったとつくづく思う。

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残暑厳しい・・・しかし秋の気配

2012年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

盆が過ぎたのに日本列島各地で30℃を越える猛烈な残暑で夏バテに追い打ちをかけています。

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空の雲も積乱雲か、秋の雲か今年は特に落雷事故が多発して各地で死傷者も多く出ている状態てす、自然って本当に厳しく、又優しいものだ。

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みろく苑も西日を防ぐために今年も緑のカーテンを掛けた。昨年より遥かに立派。ゴウヤ、ヘチマ、瓢箪のカーテンで日除けもバッチリです。

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しかし余りにも緑が生い茂りカーテンどころか緑の暗幕状態です。

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瓢箪も30~40cm程度の立派なものが5個程度出来ました(一部は猿にかじられてしまった)。この程度でお酒がどのくらい入るのでしょうか。

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立派なヘチマも御覧の通りです。天然素材のヘチマタワシが楽しみですが数は瓢箪と同じで5個程度です。

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緑のカーテンはやっぱりゴウヤが良いようです。葉の大きさ、耐久力、そしてゴウヤの収穫も凄い、今年は100個程度収穫が出来る予定です。みろく苑の料理には毎日ゴウヤがお出ましです。

秋の実りと日除けと一石二丁の緑のカーテン、まだまだこれからが収穫時期です。

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お盆(盂蘭盆会・・・ウラボンエ)

2012年08月15日 | 宗教、信仰

お盆と先祖供養

ウラボンエはサンスクリット語で逆さ吊りと云うらしいのですがその意味は。お釈迦さんには大変優れた弟子が10人いました、お釈迦さんの十大弟子ですがこの中でお盆に関係するお弟子さんが『目連尊者』です。目連さんは神通力第一で一般の人が見る事の出来ない世界が見通せるのです。

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有る日、目連さんは亡くなった御母さんが何処に居るのかと思い、きっとお母さんは極楽の世界で楽しく暮らしていると思い覗いてみました。極楽の世界もピンからキリまであるのですが何処を探してもいません。だんだん降りて行って地獄の世界を覗いてみるとお母さんが居るのではないか。お母さんは地獄で逆さに吊り下げられて何も食べることが出来ず苦しみもがいていました。

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目連さんはびっくりして、どうしたらお母さんを助けれるかをお釈迦さんに聞きました。

「目連よ、そなたの母は身内には良い母であったが他の人達には大変ケチであった。母を助けたいなら僧呂達の修行が明ける7月15日(新暦では8月15日)に僧侶達にご馳走を振舞い、供え物をするが良い」とおっしゃった。早速7月15日に目連さんは僧侶を招きご馳走を振舞った。後日目連さんは霊界を覗いてみるとお母さんは極楽で楽しそうに暮らしてみえた。これが盆の云われ、先祖供養の云われはこのことから始まったのです。

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みろく苑でも13日、先祖供養の行事として提灯を飾り、枠灯に家々の先祖供養の願いを書いて祀る。

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当日は天気予報は完全にマークでしたがお陰さまで龍神さんには少し横に寄って頂いて雨は降らず。

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みろく苑の人達、先祖さんへの振舞いは何処へやら、自分達のお腹へ食べるは飲むは、まるで餓鬼霊が着いた様に食欲旺盛。先祖さんも極楽で安らかな生活をしてみえたのにこの振舞いを見て地獄に落っこちそうだ。

特に禅宗では施餓鬼供養と云って盆の行事が盛大に行われるそうです。

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多度大社 ちょうちん祭り

2012年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

8月11、12日は我が故郷の多度大社恒例の提灯祭りです。しかし午後からは雷も鳴り雨模様です。さすが多度大社は雨乞いの神さん、期待を裏切らず最初は雨です。

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ポップ歌手のミューアが来ると云うので雨の中出掛ける。必ず雨は止むと信じつつ濡れた椅子に座って観覧する。

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予定より30分遅れて催しものが始まりました。彼女は雨女なのか私の強烈な願いも虚しく雨は小雨ですが止む気配はないものの

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彼女の熱唱は続きます。デビューして9年、彼女にとっても神さんに奉納するライブは始めてでしょう。歌手で有ろうと、オリンピックのメダリストで有ろうと、人生総てお徳の有る人が最後は輝く。自分の人生が神さんに守護それていると認識できる人は不思議と人生上手くいくものです。彼女にも此の事が判ってほしい。

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午後7時私の念力が通じピタッと雨は止みました、そしてミス桑名の方によるちょうちんの点燈です。

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広い境内に一斉にちょうちんが点燈しました、とても華やかで厳粛で幻想的です。

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源平物語ではありませんが奥の神域では白のちょうちんが点燈していました。改めて多度大社の大神様に政治は国民を無視して(国民の生活が第一などとチャンチャラ可笑しい)党利党略で揉めているが日本国家の平安を真剣に多度の大神様に祈願して大社を後にする。

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イギリスの神さんにご挨拶

2012年08月08日 | 宗教、信仰

7月30日、ロンドンオリンピックを一休みして豆天狗家より車で2時間ほど掛けてイギリス東南のイングランドケント州に有るカンタベリー大聖堂(世界遺産)に挨拶に行く。

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この大聖堂はイギリス国教会の総本山で大変歴史も古く7世紀頃に修道院として建てられた。ロンドンオリンピツクの開会式にもこの大聖堂の大司教氏も御出で下さった様ですP1050009

聖堂の中は御覧の様に高い天井まで柱が林立して大変美しいゴシック建築です。

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大聖堂は日本語の案内レシーバで一人ゆっくりと見学する。スケールの大きさ、建物の美しさ、大聖堂の厳粛さや霊気に何回も身震いや鳥肌が起つ。

そして不思議な体験をする。

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この写真はインターネットから転写したものですが、この写真の場所で12世紀ごろ大司教のトーマス・ケベックはヘンリー2世と対立し国王の軽率な発言により部下に暗殺されたのです。  私もこの場所で確かに2、3枚写真を撮ったのですが不思議な事に一枚もカメラの中に写真が無いのです

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この写真もインターネットからです。床にローソクが焚かれていますがこの床の下にはケベック等の聖職者が埋葬されていると後から知りました。日本語の案内には一言も語られませんでしたがこの大聖堂のいたる所に聖職者が埋葬されている事も後て゛知った。

大聖堂の中で体験した鳥肌も身震いも霊気も聖職者からのメッセイジだったのでしょうか。

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