アイリス ふれあい農園

野菜作りを楽しみませんか。定年後の第二の人生の癒しに、家族で野菜を育てる楽しみ、土と戯れて野菜作りでストレス発散。

安陪のミクスに4本目の矢が必要

2013年11月04日 | 社会・経済

先日まで京都で静養中で有りました。静養中と云っても根が貧乏性ですからついウロウロと加茂川沿いを3km程ゆっくりと散歩する。

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加茂川の河川敷と京都市民の憩いの場、色々な光景が目に入ってくる。散歩しながら本当に「安陪のミクスで日本は元気を取り戻すのか」と生意気に考えてしまう。

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加茂川沿いの桜が紅葉してきました、ランニングを楽しむ人に何人も出会い、こちらも走りたく成った。

安陪のミクス一本目の矢は異次元の量的緩和・・・・つまり1万円札を大量に印刷して円を市場に送り出し円安に仕向けた。円は対ドル相場で75円から97円の円安になり輸出産業は元気付いた。

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何時もこの飛び石を渡って対岸に行くのですが今日は少し水量が多くて渡れませんでした。

安陪のミクス2本目の矢は量的緩和で公共工事等を出すことで国内産業を潤し、サラリーマンの人達の給与所得をあげてデフレ脱却を狙う。

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芸術の秋、沢山の人が川沿いでキャンパスに秋を描いていた。

安陪のミクス3本目矢は規制緩和をやって民間活力を促し、活力ある日本を取り戻す。確かに安陪政権になってから日本の沈滞したムードは一変して明るさが見えて来た。

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河川敷公園には金木犀のさわやかな香りが漂っています、京都で休養が出来て本当に良かった。

しかし安陪総理は人間の本質を知らない、経済が良くなると「衣食足りて礼節を知る」を忘れて必ず人間は「衣食足りて礼節を忘れる」になるのです。もっと豊かになりたい、もっと贅沢をしたいの欲望が湧いてくる。

そこで必要なのが安陪のミクス第4の矢はブータンの国の様に精神的幸せ、感謝の心を教育する事です。多少生活は不便でも有難いな~、お陰さまでの感謝の心が無ければ人間は際限なく欲望を貪る事でしょう。

安陪総理は第4の矢は射てれるでしょうか。

京都での休養は10月で終わり又猛烈に年末に向けて動き出した私で有ります。

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稲盛哲学にほれぼれ

2013年10月07日 | 社会・経済

先日、毎日新聞社から出版された稲森和夫著の「燃える闘魂」を読んでつくづく考えさせられた。何が今の日本に足りず、自分に足りないのか、・・・・

稲盛和夫・・・創業以来一度も赤字を出したことのない京セラの創始者、電電公社(今のNTT)一社では独占で通話料が世界一高い為に第二電電(今のKDDI)を創設した。

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80年周期の変動  日本は徳川幕府が崩壊して明治政府に体制が奉還された。そして近代国家に遅れた日本は「富国強兵」に乗り出し、その40年後にはその当時最強のロシアに宣戦布告し勝利、世界を驚かせ国際的な地位が飛躍的に向上した。

それから40年後の1945年に日本は第二次世界大戦で大敗し、国土は焼土し、国民は奈落の底に落ち込んだ。

それから40年後の1985年後日本人は頑張りに頑張ってアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国に成り、やがてバブルが崩壊し今度は経済的に打ちのめされた。

自分の利益ばかり考えたあげくの果は富国強兵政策も富国経済政策もも打ちのめされた。

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2010年、日本の、そして世界の空に羽ばたいたJAL(日本航空)は負債総額2兆3221億円の負債を抱え会社更生法により倒産した。その会社を僅か3年で稲盛は年間営業利益2000億円も出る会社に作り変えてしまった。

官僚的なJALの経営者、責任を取らない社員、当時の政府より不採算路線の押し付け、総てが狂っていた当時のJALを80を越えた老人稲盛はここで何をしたのか。

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この本の冒頭に「私たちはいま、混迷を極め、先行きの見えない、不安の時代を生きている。豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのに閉塞感が有る。やる気さえあれば、どんなものでも手に入り何でもできるのに、無気力で悲観的になり、中には犯罪や不祥事に手を染めてしまう人もいる。」、全くその通りだ。

稲盛哲学は当たり前の事を根気強く闘志を持って行った。家族の為に、社員の為に、国家の為に利他の精神を推し進めた結果が不可能と言われていたJALの再生に繋がった。

経営手腕は人間としての「生き方」に総てが託されていたのでした、読むだけでも勇気が湧いてくる。

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新春賀詞交歓会

2013年01月16日 | 社会・経済

一月も早やなかば。桑名三川商工会の新春賀詞交換会が桑名シティーホテルで行われました。

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昨年の桑名市長選挙で市民の圧倒的な支持を得て当選された若き伊藤市長を始め、県会議員の先生、市会議員の先生や行政の方々、そして商工会の会員さんで大きな会場は満員です。

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市長の若々しい挨拶が終わり鏡開き、酒は地元多度大社の上げ馬神事から命名されました地酒の「上げ馬」。今年は国政も民主党から自民党に変わり、市政も若き新市長変わり日本の景気も上げ馬の如く坂を駆け上がる事でしょう。

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沢山の料理も話に花が咲いて戴く暇もなく無くなりかける。しかし商工会は中小企業の団体、中小企業と云うより家内商工業者のか弱い団体、安部総理の経済再建はか弱い団体まで潤うでしょうか。

常々思う事は補助金や行政にバックアップされた企業は援助してもらって当り前でバイタリティーが見受けられない。自分の財布は自分で潤す、コロコロ変わる政治に期待せず常に努力が繁栄の源と心得て今年も上げ馬の如く皆さん駆け上がろうではありませんか。

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3.11 その後の震災の爪後は

2012年08月28日 | 社会・経済

今日(8月26、27日)。  2011年3月11日、日本いや世界を驚嘆させた東日本大震災から一年半後の被災地(宮城県女川町)にご縁有って視察に行く。

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ここは東北の空の玄関、仙台空港です。海から僅かな距離に有る飛行場に津波が襲来、巨大な飛行機や資材が流されて行く様子はテレビでも何回か放映されましたが、今は何事も無かった様な一階です。

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この写真の左の丸い柱に「ここまで津波が来た」と記されています。右のパネルに被災した飛行場の様子が展示されていますが、いち早く米軍が滑走路やターミナルの瓦礫を片付けて震災復興の前線基地にして支援をしてくれました、感謝、感謝でした。

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壊れた家が見えますがこの道路沿いは家が立ち並び遠方は見えなかった所ですが現在は草が生い茂り、一見土地が空いている様に見えます。この様な所はいたる所に有り復興には遥かに遠く、やっと瓦礫が撤去されたと云う感じ。

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瓦礫の山はいたるとひ所に有りました。被災地以外の全国で処理して欲しいと野田総理や環境庁は各自治体に呼び掛けたが地域エゴの人々のほとんどの自治会が受け入れ出来ず。ただ東京都知事の石原さんは最初から瓦礫を受け入れ被災地の苦しみを分かち合った素晴らしいリーダシップ示した。

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その後、宮城県女川町の商工会にお邪魔して経営指導員の方より一時間半にわたって震災や津波の凄まじさをスライドを交えて説明して頂く。この写真は高台に有る「女川町地域医療センター」から街を見下ろした写真ですが街の形は完全に消失し唯一件三階建ての建物が横たわっていました。震災の痛ましさを後世に残すのか、いや嫌な思い出になる建物は早く撤去しよう、と意見が分かれている様です。

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高台に有る「女川町地域医療センター」です。右側が海です。センターの建物をよく見て下さい。一階と二階部分でタイルの色が別れていますがこの部分まで津波が来たとのことです。女川の皆さんは医療センターが避難指定場所だったのですがここまで逃げても津波に襲われた、津波の高さは20mを遥かに超えていた。先ず『逃げよ』ですが本当に自然の猛威から逃げる事の難しさを肌に感じた。

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女川町の商工会の方々の努力で出来た仮設店舗です。写真には写って無いのですがこの敷地の右側には銀行や信金の金融機関の仮設店舗も有ります。ここは高校の第二グランドですが最初は国や県や町の行政がバラバラでこの仮設店舗を建てるのも本当に苦労した、しかしやっと日頃お目にかかれない政治家や放道機関やタレントが来て全国にここを紹介してくれたそうです。私達が帰る頃にはNHKの大形放送車が取材に来ていた。

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仙台空港から中部国際空港までは珍しいプロペラ機です。震災復興で建設土木関係は今後10年間は特需で忙しいとのこと。しかし一番気になったのは瓦礫の処理です。報道では瓦礫の処理の目途は経ったので地方で受け入れて貰わなくてもよい様ですが、変な市民団体が放射線で汚染されていない瓦礫までエゴむき出しで反対運動を未だしている。自分だけ良けれは他の嫌な事には手を貸さない、目を背ける、見苦しい国民に日本は成ったとつくづく思う。

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NTN見学会

2011年12月11日 | 社会・経済

我が家から直線距離にして500m程度の所にNTN(旧東洋ベアリング)三重製作所が有ります。

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第二工場

ここに第一工場、第二工場、第三工場と別れていますが大きな工場が三棟あります。今日(10日)は工場側より地元自治会に対して工場見学会を催しして下さったので参加する。

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ここが第一工場です。NTNは簡単な機械からロケットなどの超精密機器等の回転部分には必ず使われているベアリングのメーカで日本では三番目の規模、世界では五番目の企業だそうです。

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工場は日本の各地や海外にもありますが今日の工場はこの地に進出して7年程度の新しい工場で各工場が分社化しているようです。

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分社化された工場の社長さんや工場長等の幹部が土曜日にも関わらず出席して頂いてこの部屋でNTNの製品や工場の説明をして頂く。当然ですが工場内は写真撮影禁止の為製造工程はお見せできません。

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工場見学が終わってからベアリングの組み立てを実際に手ほどきを受ける。NTNの発祥の地は桑名市播磨地区です。世界的な企業がこの地に有るのも光栄な事です、ベアリングは産業の米の様な存在で時代がどれだけ進化しても無く成る事は無い製品であります。

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この工場の平均年齢は31歳と大変若い、見学の少年は大変興味深く実習していました、将来の工場長でしょうか。この様に企業が地元の人と関わりを作り地元に慣れ親しんで頂く事は大変有難い事です。この企業は毎年5月に行われる「ゴミ〇運動」にも社員の方々が大勢参加して道などに捨てられた空き缶やペットボトル等の回収をしてくれています。

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