佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

全日本合唱コンクール新潟県大会

2006年08月27日 23時41分26秒 | 合唱

 

 コンクールでした。

 

 

 前から書いていたとおり2団体に出場。

午前中の練習かかぶっている。 

ので、朝9:00から11:00までLalariへ。

11:00から13:00がユートライへ。

2時間ずつ参加することに。

たまたま隣で練習していて助かった

(助かったというか全部参加できなかったので

関係者の皆さんには御迷惑をおかけしました)。

 

 前日も13:30から21:00まで歌いどおしだったので、

今日は両団体の午前練習が終わった時、正直へばっていた。

集合時間まで客席で聴いていたが、

あまりに疲れていて眠気が(笑)。

 

 まずはLalariの演奏。

実は指揮者(先生)が3団体に出場(笑)。

御歳70歳ですよ。凄い。。。

なので、直前リハーサルは僕が仕切る。

12分間。午前の練習を僕自身が途中で抜けたので、

約束事も確認しつつ。

僕が抜けた後で通した時、バスが途中で落ちたらしいと(苦笑)。

若干色々不安を抱えつつステージへ。

 

 一般は6団体。

Lalariは1番。ユートライは5番。

 

 Lalariの本番。

課題曲は可もなく不可もなく、、、という感じ。

良い音は鳴っていたと思うが。。。

僕自身、バスが練習で落ちたところで、

1ヶ所落ちそうになった。気にしすぎた。。。

自由曲。勢いはあったと思う。

途中、演奏者が結構自由に演奏する場面は、

どう空間に響いただろう。

注意深く聴いてはいたが。。。

 

 

 悪い演奏ではなかったが、

良くも悪くもLalariの特徴が出た演奏だったかな、と。

 

 

 と反省する前に、

ステージ裏を通って、すぐにリハーサル室へ。

ユートライのリハーサル。

時間が重なっていなかったので良かった。

 

 ユートライの演奏の鍵は自由曲のニールセン。

それと、そこへ持っていくまでのピッチ。

自由曲1曲目のサンドヴォルドからニールセンは、

同じ調なのでそのままいくことになっている。

だから、1曲目を丁度良いピッチで終えて、

2曲目のニールセンのテノールがどう歌い始めるか、

そこが結構重要だった。

 

 リハ室では、正直上手くいかなかった。

 本番。

課題曲は、その作曲者のメッセージを、

非常にしっかりと表現した。

僕自身は、非常に良い出来だったと思った。

ピッチ云々は元々良くない団体なので(苦笑)、

でも曲の持つ世界観は伝わったのではと。

 

 自由曲1曲目サンドヴォルドは、

非常に鳴りやすい書法で書かれている。

歌い手も安心して歌えた。

 

 問題のニールセン。

テノールのピッチはまずまずで入って、

ピッチ自体は安定していった。

非常に体力を要求する大曲。

しかし、集中力自体は切れなかったと思う。

途中の関門も何とか抜けられた。

最後の和音が若干良くなかったが、

全て出して歌いきったと思う。

 

 結果については、、、

僕のメルマガで全部書いたので、

購読してください(笑)。このページから飛べます。

Lalariもユートライも銀賞。関東行きならず。

実は、新潟の合唱界は、

しばらく、JUNEとユートライが中心になって

数年前まで進んでいた。

ここ何年か、団体数が増えて、

一般自体のレベルは少し上がっていると思う。

6団体というのは、丁度良い緊張感が保てる。

少なすぎると1団体のみしか行けないし、

これ以上多いとちょっと散漫になる

(いや、やっぱりまだまだ沢山出て欲しいな。。。)。

そういう意味では、県突破もなかなか厳しい。

 

 実は今回、一番嬉しかったことは、

医学部合唱団のメンバーが数名聴きに来ていたこと。

そのメンバーとは新潟ユースに参加していたメンバーで、

どこで知ったか、コンクールを聴きに来ていた。

医学部さんはコンクールには出ていないので、

コンクール自体の存在もあまり知らないと思うが、

新潟ユースを通じて、いろいろな情報が向こうに流れて、

興味を持って今日聴きに来てくれた、というのは、

僕にとってはとても大きいことだった。

コンクールに出る出ないはどうでも良くて、

他の団体のしていることに興味を持って、足を運び、

刺激を受けて帰ることこそが、

僕にとっては(新潟の合唱界にとって)一番大事なこと。

この行き来の道が増えたことが、本当に嬉しい。

 

 

 それにしても、2団体出場というのは、

今回初めてかと思ったが、違った(笑)。

記憶を辿ったら、大学4年の時、 

大学Aの部が初めて出来た時、

新大室内合唱団として参加した。

ユートライにも所属していたので、両方出たはずだが。。。

あんまり覚えていないのは何故だ(爆)。

 

 

 というか、その記憶も含めて、

歳です(笑)。

今回の2団体は結構きつかった。

普通、同じ指揮者の団体というのはあると思うが、

違う指揮者の団体に2つ出るというのは、

その鳴っている音が全く違うので、

そこに対応するのが結構大変だと知った。

というか、同日に練習があったのがきつくて、

その疲れを当日も引きずったところに、

僕の歳の若くないことを感じる(笑)。

 

 

 そして、今日、暑かった。。。

礼服って、暑いんです。。。

まるで早実のハンカチ王子のように汗を拭き拭き(笑)。

余談ですが。。。

 

 

 さて、、、

コンクール、どちらも突破できなくて、

急に暇になってしまった(笑)。

ウソです。次の週末は別件の合宿。

今週はそのための準備に宛てます。

 


「死を想え~チェンバロによる瞑想~」

2006年08月27日 23時05分05秒 | クラシック

 

 8月25日(金)、上記演奏会に行って来ました。

5月にバッハで共演させていただいた

笠原恒則さんのチェンバロコンサート。

笠原さんは「楽路歴程」という古楽演奏会を主催されていて、

新潟の古楽界では著名な方。

 

 

 今回、チラシのデザインからしてとても興味惹かれるもので、

楽しみにして行った。会場はりゅーとぴあスタジオA。

 

 会場へ入ると、照明がとても暗く絞っていて、

チェンバロの脇にスタンドライトが一つと、

前にキャンドルが一つのみ。

期待を抱かせる雰囲気。

 

 開演すると、照明は完全に落とされ、

スタンドライトとキャンドルのみ。

笠原さんが登場して演奏。

 

 プログラムについては詳細を省くが、

演奏された作曲家は、

J.ダウランド、J.V.ゲルナー、J.J.フローベルガー、

L.クープラン、J.C.ケルル、J.P.スウェーリンク、

A.フォルクレ、M.マレ。

休憩を挟んで1時間半強のステージだった。

 

 今回、演奏者がプログラムに書いていたとおり、

外界に向けられたメッセージの強い曲ではなく、

内省的な作品、「自らに沈静していく曲」が選ばれていた。

演奏された曲はまさにそのとおりで、

演奏者が注意深く選んだ跡が見えた。

 

 そして、照明がそれを手助けして、

まさに、笠原さんと作曲家の作品の、

チェンバロを介した私的な会話(瞑想)を、

聴衆が見守っている、

そんな印象だった。

 

 空間に放たれるチェンバロの音色は、

その「弾いて減衰するのみ」の音の特性がはっきり表れていて、

音が空間に沢山散りばめられるのではなく、

その微妙な間や空気を、まず演奏者が注意深く聴き、

そして放たれる。

その、まさに「瞑想」を、傍から見守る、

そういう空間と化していた。

 

 おそらくだが、スタンドライトが、

笠原さんの”前”でなく”後ろ”に置かれていたこと、

笠原さんの計算だったのではと思う。

つまり、前に置けば、そのスタンドが、

笠原さんを正面から照らすのだが、

後ろに置いたため、笠原さんを照らすのは、

前の小さいキャンドル一つと、

スタジオAの白い壁に反射した間接光のみ。

つまり、後ろからの光に照らされた笠原さんは、

前から見ると影の様に映り、

その影が、静かにチェンバロを爪弾く、

そういう工夫がされていた。

前に光を置くと、

後ろの白い壁に笠原さんのシルエットが映されてしまい、

そのシルエットの動きがとても気になったに違いない。

あの照明の置き方を、おそらく慎重に選んだのだろう。

 

 そして、曲間に語られる笠原さんの声が、

また渋い響き。

本人は自覚が無いかもしれないが、

非常に良い声で、暗闇に響いていた。

強いて言えば、曲解説の時は、

照明の後ろに立って、顔を照らして欲しかったかな、と。

顔が暗く映ってしまったので。

 

 アンコールの最後には、

キャンドルを吹き消すという素敵なパフォーマンスが。

最初から最後まで渋く決めて、

今回の演奏会のスタイルを貫いて終わった。

 

 僕自身、笠原さんのチェンバロというと、

その即興性や煌びやかな音色が特徴だと思っていたが、

今回の演奏会は、そのイメージを

良い意味で壊すものだった。

その古楽の作品の幅広さと、

笠原さんのチェンバリストとしての幅広さを、

今回の演奏会で示したのでは。

 

 

 素晴らしい演奏家と共演させていただいたものだと、

僕自身、バッハの演奏会を振り返ったりもしていた。

笠原さんの今後の活動に要注目である。

 


コンクール前日

2006年08月26日 23時48分00秒 | 合唱

 

 こういう日々の出来事を書いていくと、

書きたい記事が溜まっていくんですよね。。。

昨日の笠原さんのコンサートは明日書きます。

 

 

 今日は午後夜と合唱団の練習でしたが、

午前中、あまりに身体がだるくて、昼の12:30まで

起きられませんでした。

午前中が調子悪いのは今に始まったことではないのですが、

うーん、まだ疲れが取れていないんでしょうかね。。。

 

 

 とりあえず13:30から練習なので、

起きてシャワーを浴びて練習へ。

合唱団Lalariの練習。

 

 先生がいらっしゃるまで課題曲を中心に練習。

仕事の都合などで今日も全員は集まれない。

とりあえず返しながら練習。

自由曲の途中で先生が。

 

 休憩を挟んで先生の自由曲練習。

細かい確認をしながら進めていく。

休憩を挟み次は課題曲。

単純に全体で合わせる練習量が少ないから、

合わせれば合わせただけ良くはなっている。

 

 最後2曲通して終わり。

予定より時間が押していたので、連絡の途中で僕は抜けて

次の練習会場へ。

18:00から合唱団ユートライの練習。

 

 体操発声の後、自由曲から。

サンドヴォルドはかなり練習をしてあるので、

それほど大きな不安は無い。

その後課題曲。こちらはG3なので、

僕は課題曲を2曲暗譜しないといけない。

結構メッセージ性の強い曲を、

余すところ無く強く伝える曲作りをしている。

 

 最後に自由曲。

ニールセンは結構体力を使う曲。

最初から最後までピッチが一貫しない。

どこかが下がったり上がったりしているからなのだが。。。

 

 最後に3曲通して、

数ヶ所修正して終了。

 

 いやー、前日だけど結構歌いました。

仕方ないですね、2団体出場なので。

 

 明日は2時間づつ直前練習に参加。

いやー、体力持つかな。。。

両団体とも、最善を尽くします。

 


追記:アジアユース合唱団について

2006年08月26日 00時31分17秒 | 合唱

 

 書き忘れたことを少し。

 

 

 今回、演奏会準備に当たって仕事し、

気が付いたことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

tek310は、矢面に立つと超弱い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私のことを少しでも知っている方は分かると思いますが、

私、正直、あまり面の皮が厚くありません(笑)。

えー、そのため、精神的に非常に脆いです。

と言うかですね、人間には「タイプ」というのがあります。

 

 私は今、合唱団を立ち上げたり、

ブログやメルマガなど、結構目立つことをしていますが、

基本的に、表に出ることが苦手であり、

それでありながら、やっぱり表に出たいという矛盾を抱えています。

もう一つ言えば、人が苦手にもかかわらず、

こうして合唱を続けてきたという矛盾も。

 

 これについてはまた書きますが、

要は、打たれ弱いのです。

人の行動や言ったことをいちいち気にする。

そして一人考え悩み、心に傷が付いていく。

人が考えないようなことも勝手に考えてしまう。

 

 そう、決定的に指揮者に向いていないのに、

指揮者をしたいと思っている(笑)。

矛盾だらけの人間です。

 

 何が言いたいかというと、

 

 

 

  

 

tek310を使いたいなら、上手く使ってください。

 

 

 

 

 

ということです。

僕は今回、自分の適性と向いていないことをしていたなと思います。

皆さんの分からないところで、かなりの犠牲を払ったのも事実です。

 

 まあ、全ては自己管理なので、

それが出来ないのは自分が悪いのですが、

やっぱり、人と関わることというのは、

楽しいことであると同時に、ストレスでもあるということです。

 

 衝突や問題の矢面に立つと、

僕は、恐らく、持っている能力をあまり発揮できません。

自分のスタンスなのですが、

 

一歩引いた所から全体を見て、

客観的に状況を把握して行動&発言する。

 

 これが一番、自分に合っていると思います。

つまり、今回の様に、先頭に立って人を引っ張ることは、

僕の得意分野ではありません。

敢えてそれをしたとしても、長続きしない

(と言うかどこかに破綻をきたす)と思います。

 自分が一番生きる方法は何か、

事務的な仕事をすると、常に考えさせられます。

というか、考えている時はもう手遅れ(爆)。

進み始めてから止まる事はできないのです。

一つ終わる前に別のことが一つ始まる(笑)。

その繰り返しで演奏会を迎えました。

 

 やっぱり、自分の適性を常に考えます。

裏方タイプだな。。。と思いつつ、

でもやっぱり目立ちたいと思っている。

昔よりは正直に生きているつもりですが、どうなんでしょう。

 

 

 とにかく、これを読んでいる方に伝えたいのは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「tek310を使うときは気をつけろ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう一つ。

 

 チケットの価格です。

 これまでは県の事業で、無料(整理券必要)でした。

今回1000円になりました。

 

 これ実は、僕はもう少し上げたかったのですが、

捌けないという意見を受け、1000円に落ち着いたわけです。

 

 演奏会のチケット価格は、

その土地、会場、団体の実力、演奏対象、コスト面、などを

総合的に加味して決めることです。

 

 今回、それを考えた時、

僕は最低でも1500円にしたいと思いました。

正直、集客が不透明だったので、

単価を上げたいという思いもありました。

会場や、演奏レベルを考えても、決して不適ではないと。

何より、コストが膨大にかかっている。

もし東京だったら、この事業はおそらく最低でも

3,000円は取ると思います。

 

 結果的には、これは、

いろいろな点から拙かったと思っています。

 

 と言うのは、最後に書いておかないといけないことと絡みます。

中高生の聴衆がほとんどいなかったと言う事実です。

 

 今回、中高生は500円にしました。

しかし、価格の問題ではありませんが、

彼らに訴えるために、

 

「ポリシー」というか

 

「演奏会のメッセージ」として、

 

高校生以下無料という選択肢があった気がします。

平日開催というのは、中高生にとっては結構致命的でした。

夏休みなので、来る気さえあれば、

顧問の引率や、親の引率という方法もあったとは思います。

なので、どういう人たちに一番聴いて欲しいか、

それを、価格設定という形で、明確にメッセージとして伝えるべきだった、

そう思います。

 

 そういう意味では、

今回の集客が大学生も少なく、

結構年配の方が多かったというのが、

アンケートからの印象です。

 

 そういう意味では、

一番聴いて欲しかった若年層に対するアピールは、

価格設定も含めて、欠けていたと言えると思います。

しかし、事業の魅力を考えれば、

生徒に直接訴える前に、

先生がぜひ聴きに連れてきて欲しかった、とは思います。

小出では沢山の生徒を連れてきてくださった方もいましたが。

 

 そういう意味では、

生徒にアピールすると言うよりは、

先生にアピールした方が早い。

つまり、僕がずっと言っている、指導者の育成に繋がっていくのです。

指導者の意識を変えることが一番の課題なのです。

勿論、アジアユースに限った話ではありません。

 

 話が飛んでいますが、

年配の方が多かったと言うことは、

財政的に1000円と1500円はそう大きい差ではない。

結果を受けてみれば、

一般の価格を少し高く設定する分、

高校生以下の価格を無料にするなどの方法が

適切だったのかなと思っています。

 

 

 演奏会マネージメントと言うのは難しいですね。

県が全部やっていれば、はっきり言ってしまうと

赤字という結果は見えない。穴埋めが出来る。

しかし、今回はそうはいかない。

赤字だけは出せない。

 

 そう考えると、

演奏会の課題というのは沢山ある。

特に、若年層に訴える活動というか方法、

それも劇的な・刺激的な方法を考えたいところです。

まあ、それも、常日頃の色々な活動があってこそ、

訴えが成立することです。

そういう意味では、間接的には、

もう次回に向けて始まっている、

そういうことです。

アジアユースに関係なく、

色々な連携での継続的な取り組みが必要なのです。

勿論、団体の個性・特性は大事ですが、

つまらない枠組みとかは取り払って、

皆が新潟の合唱界を少しずつでも考える必要がある。

勿論、それぞれに出来る範囲でいいのです。

それを広めていかないといけない。

それを邪魔するもの、

個人のエゴや団体のエゴは、

無くしていかないといけません。

 

 うーん、青いですね(笑)。

本当は、無くすというよりは、

うまいこと調整していくべきなんでしょうが、

僕は調整役が苦手なので(笑)。

だから、同志(協力者)を増やしていきたいと思います。

 


アジアユース合唱団の今後~今回の合宿と演奏会を振り返り~

2006年08月24日 23時33分48秒 | 合唱

 

 随分前になってしまいましたが、

少しタイトルについて振り返りたいと思います。

 

 

 あまり詳しくは書けませんが、

今回は急遽開催が決定したアジアユース合唱団でした。

 

 正確に書くと、アジアユース合唱団もその一環として開催されてきた

「新潟アジア文化祭」が、「新潟県民文化祭」と統合され、

「新潟文化祭」へとリニューアルした、というのが事実です。

新潟アジア文化祭は、近年縮小傾向にあり、

諸々の事情から統合、リニューアルされました。

 

 その新潟文化祭へ組み込んでもらい、

これまで新潟県が全て行ってきたのを、

「アジアユース合唱団実行委員会」を作り、

実行委員会が主体となり、

新潟県と、キャンプを開く小出郷文化会館の三者共催で

開催することに至りました。

 

 僕は当初、そこに賛助する「新潟ユース合唱団」の設立準備に

追われていました。

この新潟ユース合唱団が出来た背景には、

 

「アジアユース合唱団」が、新潟県内よりも、むしろ

新潟県外の関係者によって支えられている

 

という現実があったからです。

 

 

 三者共催ということで、

今回、県からも費用を負担してもらっています。

しかし、これまでのような潤沢な使い方は出来ないので、

チケットを有料にし、チラシやプログラムへの広告という、

企業の協賛金なども沢山募りました。

 

 要は、新潟県が費用を負担するのに、

県内関係の力が少ないのはどうなのか、

という課題を解決するために、

新潟ユースが誕生したわけです。

県のお金を使う以上、事業では新潟への貢献、ということが必要、

そういうことです。

 

 正直、この時点で、

アジアユース合唱団は、問題を抱えています。

新潟の参加者が少ない、という現状。

これは、これまでのアジアユースが、

新潟の若者に対して、アピール出来ていない事実があります。

それ以前に、新潟の若者の意欲喚起という意味では、

これがアジアユースだけの問題ではないのは当然です。

 

 アジアユースへの新潟の参加者を増やす。

これが今後への課題です。

新潟ユースというものができ、それがアジアユースに

繋がっていったらいいなとは思っています。

 

 

 今回特に気をつけたのが、

 

「何らかの負担をした人が得をするように」

 

ということです。

 アジアユースの参加者は、ある程度の自腹をきって

参加してきています。

新潟ユースも、参加費を取っています。

演奏会のチケットも有料です。

 

 つまり、何らかの負担をしてこの事業にかかわった人が、

みんな得をして帰って欲しい、

そう思っていました。

 

 得をして帰れば、

また得をしたいと思って、

アジアユースや新潟ユースに参加したり、

演奏会をまた聴きに行こうと思う。

それの繰り返しが重要だと思っていました。

 

 そういう意味で、

アジアユースへの参加者を増やさないといけません。

 

 

 それに関連して、もう一つ。

 

 新潟ユースの準備と共にやってきたのが、

アジアユースの広報でした。

実行委員会に実際に動ける人間がいなかったので、

箕輪実行委員長と僕が中心になって、いつの間にか

アジアユースの広報を進めることになりました。

 

 この時点で、人手不足に問題があります。

ただ、一度動き出すと、正直もう止まれません。

途中から組織を拡大することは正直困難でした。

これは、実行委員会を、色々なレベルでつくること、つまり

学生や新潟県内の合唱人を巻き込む必要があるでしょう。

 

 

 そして、問題の広報。

これが本当にしんどかった。

体力的にではなく、精神的にです。

これまで4回の演奏会を開いているにもかかわらず、

今回の演奏会へのあまりの反応の鈍さに、

僕は途中で何度もへこたれました。

 

 新潟の当日は420名くらいの来場者で、

普通の県内の合唱団の演奏会においては、多いほうだったと思います。

僕の中では400は越えたいと思っていたので、

何とかノルマをクリアできたという感じでした。

 

 しかし、この事業の規模や大きさ、

更には魅力において、

この来場者数は、僕としては本意ではありませんでした。

 

 当日のアンケートには、

「アピールが足りないのでは」

などという指摘もありましたが、

僕としては、今回正直、

これ以上何をすればいいのかという気持ちでした。

 

・ポスター&チラシを撒いた施設の数、演奏会の数、

・県内各団体への案内

・新聞などメディアへの露出

・広報のための合唱団まわり

 

 正直言うと、これだけ宣伝をする合唱団は

新潟県にはないと思います。

今回、役所から実行委員会へ移った時、

これで、県庁の「仕事」としてではなく、

この事業を「好きな人間が」とにかく多くの人に広められる、

僕はそういう期待をしていました。

実際、県庁に手伝ってもらいながら、

なるべく広く、無駄だと思うことまでやりました。

 

 しかし、反応はビックリするほど薄いものでした。

何を持ってそう言うか。

合唱団からのチケット申込がほとんどなかったことです。

 

 県内の連盟関係の合唱団には勿論、

(若干遅くなりましたが)新潟市内の中学校、高等学校全てに

案内を出しました。合併したところや私立の学校も含めてなので、

相当数です。

 

 しかし、同封した申込書で申し込んできた団体は

たったの1団体でした。それも間際になってようやく。

 

 僕は、申込書が分かりづらかっただろうか、

書式が良くなかっただろうか、

反省しました。

次回はもう少し手を加えたいと思っています。

 

 しかし、そういう問題ではないのです。

「行こう」という意欲があれば、

そんなことは関係ない。

チラシにはメールも電話もホームページもある。

連絡を取ることは容易なはず。

ただし、「興味があれば」の話。

 

 僕は正直、あまりの反応の無さに打ちひしがれました。

県庁から実行委員会へ下ろすことで、

もっと積極的な広報やアピールが出来る、

そう思っていたからです。

しかし、それはほとんど効果が上がらず、

県庁の担当者が庁内で売ったチケットの枚数を聞いて、

僕は自尊心を傷つけられました。

「合唱人や音楽関係者にこれだけアピールして

これだけしか売れないのに、

何でそんなにチケットをさばけるのか」と。

 

 セールスマンに徹したと担当者は話していました。

その努力には頭が下がります。感謝しました。

しかし、前も書きましたが、

「そこまでして売らないと売れないのか」

という思いが僕の中には常に付きまとっていました。

僕も仕方なく、広報のために各合唱団に連絡を取って、

練習の終わりなどにお伺いし、チラシを配って、

直接宣伝するということを結構しました。

良く考えて欲しいのですが、

合唱団の練習に他の団体の人が直接来て宣伝する、

こんなことは普通ほとんどありません。

しかし、これについても、

温かい拍手をもらったりする反面、

正直、かなり冷ややかな反応があったのも事実です。

 

 「何でこんなことまでしないといけないのか」

 

 正直僕は悲しくなりました。

多分一番ダメージを負っていた時のことです。

 

 勿論、こちらにも多くの課題はあります。

演奏会の日時。

8月10,11日という日柄、平日という状況、

これは今後変えていかないといけません。

しかし、これにしたって、

学校関係者はむしろ休みが取りやすい。

それにポピュラーのライブなんかはほとんど平日の夜。

プロの演奏会も平日の夜は普通です。

 

 

 申込書の様式とか、

日時とかは大きな問題ではない。

僕は今回確信しました。

勿論、演奏会の日が変われば来れる人もいます。

しかし、同じように来れなくなる人もいるのです。

そこにある問題はそれほど大きくない。

 

「興味があるかどうか」

 

 その1点に尽きると思います。

 

 合唱関係者は、他のジャンルの演奏会に行かない人が多く、

それどころか、合唱関係の演奏会にも行かないです。

そもそも、そういう習慣が無い。

チラシを見て、

「行こう」

と、”自分で”思い立つことが無いということです。

 

 これは、間違いの無い事実だと確信しています。

僕自身は合唱関係の演奏会にもそれ以外にも

足を運び続けているので、

実際問題、新潟県内で有力な合唱団の演奏会でも、

集客に苦労している状況があることを知っています。

しかも、それが合唱関係者ではなく、

出演者の知人・友人だったりもする。

 

 

 ここに、僕は絶望に近い感情を抱きました。

 

 

 アジアユース合唱団や新潟ユース合唱団に

魅力が無いと言われればそれまでですが、

一体、どうやったら来てもらえる様になるのか。

 

 合唱団員は、一体何のために合唱をしているのか。

 

 そこまで考えてしまいました。

そのあまりの道のりの遠さに、絶望に近い感情を抱いた、

それが正直な感想です。

 

 これについては、吹奏楽と比較した小論を

今後ここに書きたいと思います。

「合唱人が吹奏楽人から学ぶべきこと」 

両方見ていると、分かることがあります。

鍵は「団体」と「個人」というキーワードだと考えています。

 

 そういう意味で、広報という点で、

今回は大きな課題を残しました。

しかしはっきり言いますが、

今回以上の広報を打つのは容易ではないです。

 

 「縁故」でしか演奏会に来ない現状。

だとすると、出演者の数をやたら増やさないといけなくなる(笑)。

東京では、関係者だけでなく、

良く知られた合唱団には、必ず厳しい目を持った人たちが来ています。

物知り顔に多い、「背もたれに寄りかかって聴く姿勢」は

決して真似してはいけませんが、

そこの演奏を楽しみに聴きに来ている人たちがいるという事実。

 

 こういう人たちが、演奏への緊張感を生んでいる事実。

厳しい目を持って(温かい目も持って)演奏に接する人たちがいる。

新潟にも勿論います。

 

 しかしそれ以前に、演奏会に人が来ない。

つまり興味が無い。

興味を持たない。

そういう人たちにアプローチするには、

一体どうしたらいいのか、

それが、本当に、

大きな大きな新潟県の合唱界の課題だと思います。

僕自身は、アジアユースを通して、

そういう新潟県の現実を見た気がします。

 

 ちょっと長くなりましたが、あと少し。

 今回は、演奏会が近づくにつれ、

僕の手のひらからいろいろな物がこぼれ落ちていきました。

つまり、失敗が多くなっていった、ということです。

これ以上演奏会が遅かったら、大変なことになっていた、

そんな気がしています。

プログラムの製作、

団員対応(当日のケータリングやプログラムの配布)、

NYC団員の客席へ入る時の周知徹底、

色々なミスがありました。

 

 当然ですが、

これからは時間がある。

組織をしっかりし、色々な分野の協力者を増やさないといけない。

あと、あまり触れませんでしたが、

予算的な問題。

県の助成や参加者の負担だけではやっていけない現実。

企業の助成まで必要な現実。

 

 来場した方や、参加した人が、

今後も続けて欲しいと言ってくれたことが救い。

僕が今後関わるかは分かりませんが(笑)、

今回しっかりチェックして、反映しないといけません。

 

 新潟の合唱界に、

対象はかなりぼやけていますが、

かなり批判的な書き込みになりました。

しかし、、、事実ですね。

関係者の方で思うことや、

他県の状況など、

コメント等でお聞かせ頂けたらと思います。

 

 新潟ユースについては、また。