佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

アジアユース合唱団2006演奏会新潟公演

2006年08月15日 23時07分26秒 | 合唱

 

 11日(金)は8:30起床。

9:00頃にスコアペンを取りに行く予定で、

新津カントリークラブへ。

 

 前日に電話していたので、

既に準備済みだったのだが、

持ってきたブツを見ると、小さいダンボールが2つ。

一つは開いていたので中を見せてくれて、

「こんな感じですが。。。」と。

 

 そこには明らかに600本以上あろうかという

黄色いスコアペンが。

しかも、もう一つのダンボールは

パンパンに膨れ上がっていて、ガムテープで

無理やり閉じていた。

 

 

 「こんなに貰ってどうすんだ!!!」

 

 

 でも貰いました。

 結局ダンボールは一つ開けずに足りました。

どうしよう、多分2000本くらい余っています。。。

 

 

 色々準備してホールへ。

既に先生がいらっしゃっていて、

僕も予め確認したい点を事務室で質問。

しかし、合唱団はなかなか到着しない。

実はホールで昼食の予定。予約してあったので、

遅れるとマズイのだが。。。結局20分くらい遅れて到着。

 

 

 合唱団員がそうなのか、アジアの人がそうなのか、

皆結構マイペースに食事。

僕は一人事務室へ行き、ホールへ。

楽屋やステージなど準備をしてもらう。

結局30分押して13:30からリハーサル開始。

 

 

 その前に楽屋の件で一部からブーイングが。

「鏡が足りない」と。

そう、実は楽屋が足りず、色々割り振ったのだが、

衣装換えをするために鏡が足りないと。

女声に”気を遣って”応接室を宛てたのがアダに。

休憩中に入れ替えてもらうことに。

 

 僕も実は、りゅーとぴあの裏側は初めてで、

知っていたらもう少し考えたのだけど。。。失敗。

 

 15:00前に県庁の皆さんが到着。

顔だけ出して受付はお任せする。

15:30、あっという間に新潟ユースも到着。

しかし30分押しなので、待ってもらう。

 

 16:00から新潟ユースの体操発声。

終わって合同合唱の練習から。

これも前日に変更。

 

 僕は合同は失礼したので、お任せして

受付でレセプショニストとの打ち合わせ。

 

 その後、ステージでは新潟ユースの練習。

僕も途中から参加。

新潟ユースはかなり色々なことが当日ぶっつけ。

これは今後の課題だが。。。

 

 17:30になりリハは終了。

僕も袖で最終確認、準備。

 

 実は、僕も意思疎通不足だったのだが、

舞台裏、ケータリングを準備できなかった。

これは、予算の裏付けがどこにもなかったので、

新潟ユースと共同という扱いで色々持っていこうと思っていたが、

ちょっと連絡不手際で。。。失敗。

 

 18:30開場。

 

 僕は袖などで準備。

あっという間に開演の時間。

そう、自分もステージに乗るのだった。。。

 

 今日は一応、下手つきの舞台監督なので、

役割を終えてからステージへ。

新潟ユースの本番。

衣装はTシャツ。信長貴冨「新しい歌」を。

 

 皆楽しく歌ってくれたようで、

先生も細かく振らずのびのびと振っていた。

アジアユースの前に、この新潟ユースの準備から始まったので、

歌いながら若干感慨にふけっていた。

 

 終わって袖へ。

ここからは舞台監督に集中。

アジアユース合唱団のステージ。

北欧の宗教曲。

 

 やはり声に疲れの痕が見えるが、

皆気持ちを込めて演奏していた。

 

 周知徹底不足だったが、

アンケートで、新潟ユースの客席へ入るタイミングが

まずかったと指摘を頂く。すみません。。。

 

 休憩が入って、舞台裏は戦場。

各国の民族衣装に着替える。

前日は5分押しだった。

今日もやっぱり遅れる。

 

 後半開始。

ステージに出ると、客席から歓声が。

今回はアジアメンバーが少ないので

浴衣姿が多くなったが、

次回もしあれば、もっと多民族多人数で構成できたらと。

 

 後半は世界のうた。

皆、肩の力を抜いて楽しんでもらえたようだ。

民謡を中心に、随所にソロを交えて。

ソリストを務めた皆さん、本当に素晴らしい演奏だった。

 

 最後に合同演奏。

「旅立つ朝に」は、1994年のアジア文化祭から歌い継がれてきた曲。

新潟ユース70名強、アジアユース約40名、

100名を超える若者たちが歌い上げたハーモニーは、

ホールいっぱいに響き渡った。

 

 終演。後片付け。

客入りがずっと心配だったが、

自分の中での最低ラインだった400は少し越えた。

まあホールが大きいので空席も目立ったが。

この辺のことは別の記事で。

 

 新潟ユースは移動して打ち上げ。

アジアユースは、実は予算の都合で、

アジアのメンバーがこの日の夜行バスで東京へ。

これもまた書きますが、

こういうキツイ事情があるのです。。。

本番2日続けて、その日の夜行で東京へ行き、

そのまま成田へ。そして飛行機で帰るという強行日程。

 

 アジア勢は新潟駅前のバス停へ。

日本人勢の多くは小出へ帰って宿泊。

だから、ここでお別れになる。

皆、舞台裏で別れを惜しんでいた。

最後アジア勢のバスを見送ってお別れ。

小出では大宴会の予定とのこと。

僕も挨拶をして新潟ユースの打ち上げへ。

 

 と、実はすぐに行かず、

車中でアンケートを少し読んでいた。

おおむね好評だったと捉えられたが、

色々な御意見もあり、自分も少し冷静に振り返った。

 

 1時間以上遅れて打ち上げへ。

予期せぬ花束を頂き恐縮。

ここで、一つ発表をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新潟ユース、来年もやります!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、来年もやることになると思います。

とりあえず花火は一発打ちあがったが、

今回は試行錯誤で、課題もたくさん見つかった。

やりたいことはたくさんあるが、

これもまた別の記事で。

 

 打ち上げは電車組が帰ってからも続いて、

結局僕も最後までいた。1:30くらい。

長いような短いような一日が終わった。

 

 前書いたとおり翌日は17:00過ぎまで寝ていた。

やっぱり肩の荷が下りたというのが

心にとっても身体にとっても正直なところだった。

 

 これも前述のとおりだが、

僕は欲張りなので、

今回のことでも正直満足はしていない。

むしろ、大きな課題を突きつけられた気がしていて、

そのあまりの遠い道のりに、

気が遠くなりそうだった。

 

 今回、アジアユースの事務・広報と

新潟ユースの運営・副指揮をして垣間見た

その辺の新潟の現状については、また書きます。

とにもかくにも、この事業に関わった全ての皆様に、

お礼申し上げます。ありがとうございました。

 


自分へのご褒美

2006年08月15日 00時55分11秒 | 日記・エッセイ・コラム

 

 今日は時間がないので短く。

 

 

 

 日曜日、ご褒美を兼ねて、

久しぶりにケーキを買いました。

ダイエット中であまり買っていませんでした。

気になっていた店があったので、そこを。

 

 

 うーん、お店やケーキの姿はいいんだけど、

味は今ひとつだったかな。。。

ケーキネタはまた書きます。