一郎72歳。視力の低下
一郎は畑に行く前に、いつものようにネットで天気予報を見ていると、左眼の視野の中心が黒っぽくなり、視点の物が見えにくいことに気が付いた。
3日後、黒っぽさが黒豆のようにくっきりしてきたように感じた。
ネットで見てみると、加齢黄斑変性のようだ。進行すると失明するとある。
視力が落ちて車に乗れなくなれば農業ができなくなる。来年が運転免許の書き換えの時期でもある。
1日も早くと思い、掛かりつけの眼科が休診だったため、4年前に白内障と黄斑上膜の手術を受けた大学病院に直接診てもらうことにした。
大学病院に行ってみると、「予約がないと遅くなる」といわれた。
とにかくとりあえず8時57分に受付を済ませた。
10時頃、
看護師「320番の一郎さん、検査室にお入りください。お名前と生年月日をいってください」
一郎は、名前と生年月日をいいました。
看護師「眼圧と視力を検査します」検査後、瞳孔を開く目薬を差した。
看護師「待合室でお待ちください。診察室でお呼びしますから」
遅くなるとは聞いていたが、いつまでたっても診察室に呼び込まれない。
待っている間、待合室に掲示されている医師の一覧を見ていると、4年前に掛かりつけの病院の眼科に派遣されていて、診てもらっていたM医師が6つある診察室の1つで診察しているではないか。 現在は、掛かりつけの病院の眼科へは他の医師が派遣されているらしい。
一朗「かかりつけの病院でM先生に診てもらっていたんですが、今回M先生に診てもらえませんか」
看護師「いいですよ、ちょっと遅くなりますよ」
19時すぎ、やっと診察室に呼び込まれた。
M先生「眼底から出血しており、さらに詳しく調べるために、後日「蛍光眼底撮影検査」をうけるようにしておきます」
後日、蛍光眼底撮影は、座った姿勢で腕の静脈より2種の蛍光色素を点滴した。その後、撮影。20分ぐらいで終わった。
看護師「今日は検査のみで終わりますが、次回の診察の予約をしてください」
後日の診察結果、
M先生「黄斑の下に新生血管が発生し、それが黄斑部を押し上げ、また、新生血管から血液が滲出しています。治療としては、血管内皮増殖因子阻害薬を注入することで進行を抑制や、出血の予防など黄斑変性症の活動性を抑制することができるが、原因となる血管変化がなくなるわけではなく、再発する可能や、治療が無効な場合もあるけど、どうします」
一郎は「どうします」と言われても、やるしかないと思い、お願いして、手術日を予約して帰宅した。
いよいよ手術の日、手術室では、名前と生年月日を確認され、水滴除けのカッパの様なものをまとい、髪の毛を覆う帽子をかぶせらされた。
左の眼が対象であることを何度も確認され、ついには左の耳たぶにマジックの様なもので印をつけられた。
手術台は、頭の部分がくぼんでおり、後頭部を収めた。バンドで体を固定され、血圧計を付けられた。
点眼麻酔の後、眼を開けておくために枠の様なものをはめられ、水のようなもので洗浄された。
消毒の後、まぶしい光が当てられ、検査しているようであった。
注射器で眼球に薬が注入された。それが見えてしまうのも驚きだ。ちょうど水に油を注入したように見えた。
痛みはないが、眼をあけられたままというのも、まばたきできないことがちょっと苦痛に感じた。20分程度で終えた。
3週間後、
M先生「これが手術前、そちらが手術後の網膜の写真です。黄斑の下部の盛り上がりがかなり小さくなっている。見え方はどうですか」
一郎「罫線のゆがみも少なくなったし、黒い墨もかなり薄くなっています」
M先生「これで1〜2年は大丈夫でしょう。しばらく掛かりつけの眼科で診察を受けて下さい」
4か月後、かかりつけの眼科で、術後の経過を診察してもらった。
5月に運転免許証が書き換えとなっており、最近視力の低下を感じていることから、視力検査をしてもらった。
掛かりつけのK先生は、大学病院からの派遣でM先生の後任だった。
K先生「網膜が弱っており、視力は0.5しかなく、運転免許証の更新には、メガネを作り直さなければならない」
翌日、早速眼鏡店で、レンズをいろいろ入れ替え検査したが、0.7がやっとで、後は、眼科で診てもらわないと。と言われ、ショックを受けた。
4年前に両眼白内障手術を受け、昨年は加齢性黄斑変性手術を受けるなど、眼科では網膜が弱っているといわれていたが、視力の矯正が限界までに来ているとは。
何とか運転免許証の更新はできたが、3年後の書き換えには自信がない。
やれやれ、この他、高血圧症、腱鞘炎等、70歳を過ぎて病院と親しくなってきました。
農業も、量販(安値販売)から高付加価値化(高価でも売れる野菜)に向かわねば身体が持たなくなりました。
量販も満足に達成していないのに、高付加価値化はもっと難しいか。
運転免許証の更新ができなければ、トラクターにも乗れないし、志半ばで残念ではあるが、農業経営はこれまでか。
一郎は畑に行く前に、いつものようにネットで天気予報を見ていると、左眼の視野の中心が黒っぽくなり、視点の物が見えにくいことに気が付いた。
3日後、黒っぽさが黒豆のようにくっきりしてきたように感じた。
ネットで見てみると、加齢黄斑変性のようだ。進行すると失明するとある。
視力が落ちて車に乗れなくなれば農業ができなくなる。来年が運転免許の書き換えの時期でもある。
1日も早くと思い、掛かりつけの眼科が休診だったため、4年前に白内障と黄斑上膜の手術を受けた大学病院に直接診てもらうことにした。
大学病院に行ってみると、「予約がないと遅くなる」といわれた。
とにかくとりあえず8時57分に受付を済ませた。
10時頃、
看護師「320番の一郎さん、検査室にお入りください。お名前と生年月日をいってください」
一郎は、名前と生年月日をいいました。
看護師「眼圧と視力を検査します」検査後、瞳孔を開く目薬を差した。
看護師「待合室でお待ちください。診察室でお呼びしますから」
遅くなるとは聞いていたが、いつまでたっても診察室に呼び込まれない。
待っている間、待合室に掲示されている医師の一覧を見ていると、4年前に掛かりつけの病院の眼科に派遣されていて、診てもらっていたM医師が6つある診察室の1つで診察しているではないか。 現在は、掛かりつけの病院の眼科へは他の医師が派遣されているらしい。
一朗「かかりつけの病院でM先生に診てもらっていたんですが、今回M先生に診てもらえませんか」
看護師「いいですよ、ちょっと遅くなりますよ」
19時すぎ、やっと診察室に呼び込まれた。
M先生「眼底から出血しており、さらに詳しく調べるために、後日「蛍光眼底撮影検査」をうけるようにしておきます」
後日、蛍光眼底撮影は、座った姿勢で腕の静脈より2種の蛍光色素を点滴した。その後、撮影。20分ぐらいで終わった。
看護師「今日は検査のみで終わりますが、次回の診察の予約をしてください」
後日の診察結果、
M先生「黄斑の下に新生血管が発生し、それが黄斑部を押し上げ、また、新生血管から血液が滲出しています。治療としては、血管内皮増殖因子阻害薬を注入することで進行を抑制や、出血の予防など黄斑変性症の活動性を抑制することができるが、原因となる血管変化がなくなるわけではなく、再発する可能や、治療が無効な場合もあるけど、どうします」
一郎は「どうします」と言われても、やるしかないと思い、お願いして、手術日を予約して帰宅した。
いよいよ手術の日、手術室では、名前と生年月日を確認され、水滴除けのカッパの様なものをまとい、髪の毛を覆う帽子をかぶせらされた。
左の眼が対象であることを何度も確認され、ついには左の耳たぶにマジックの様なもので印をつけられた。
手術台は、頭の部分がくぼんでおり、後頭部を収めた。バンドで体を固定され、血圧計を付けられた。
点眼麻酔の後、眼を開けておくために枠の様なものをはめられ、水のようなもので洗浄された。
消毒の後、まぶしい光が当てられ、検査しているようであった。
注射器で眼球に薬が注入された。それが見えてしまうのも驚きだ。ちょうど水に油を注入したように見えた。
痛みはないが、眼をあけられたままというのも、まばたきできないことがちょっと苦痛に感じた。20分程度で終えた。
3週間後、
M先生「これが手術前、そちらが手術後の網膜の写真です。黄斑の下部の盛り上がりがかなり小さくなっている。見え方はどうですか」
一郎「罫線のゆがみも少なくなったし、黒い墨もかなり薄くなっています」
M先生「これで1〜2年は大丈夫でしょう。しばらく掛かりつけの眼科で診察を受けて下さい」
4か月後、かかりつけの眼科で、術後の経過を診察してもらった。
5月に運転免許証が書き換えとなっており、最近視力の低下を感じていることから、視力検査をしてもらった。
掛かりつけのK先生は、大学病院からの派遣でM先生の後任だった。
K先生「網膜が弱っており、視力は0.5しかなく、運転免許証の更新には、メガネを作り直さなければならない」
翌日、早速眼鏡店で、レンズをいろいろ入れ替え検査したが、0.7がやっとで、後は、眼科で診てもらわないと。と言われ、ショックを受けた。
4年前に両眼白内障手術を受け、昨年は加齢性黄斑変性手術を受けるなど、眼科では網膜が弱っているといわれていたが、視力の矯正が限界までに来ているとは。
何とか運転免許証の更新はできたが、3年後の書き換えには自信がない。
やれやれ、この他、高血圧症、腱鞘炎等、70歳を過ぎて病院と親しくなってきました。
農業も、量販(安値販売)から高付加価値化(高価でも売れる野菜)に向かわねば身体が持たなくなりました。
量販も満足に達成していないのに、高付加価値化はもっと難しいか。
運転免許証の更新ができなければ、トラクターにも乗れないし、志半ばで残念ではあるが、農業経営はこれまでか。