定年楽農

第二の人生を農で楽しもう

映画を観に行った。

2012-11-12 22:44:08 | 田舎暮らし

11月11日日曜日。明け方から雨。
かみさんが、畑に行けないんなら、映画にでも行こうかと声をかけてきた。
私が映画をあまり好きではないのを知っているのに、「急に何んで」と言うと、「礼文が舞台になっていて、きっと景色が綺麗に撮ってあるから、景色だけでも見ては」との返事。
実は、私たちの結婚生活は稚内から始またのです。
面倒とは思いましたが、女性一人で映画を観るのも可愛そうだと思い、たまには付き合うかと、「行こう」と返事をすると、「その代わり、映画にケチをつけないで」と釘を刺された。
映画の題名は「北のカナリアたち」だった。
ストーリーは、小学校の分校の6名の児童が、心の傷や葛藤を持ったまま、卒業後それぞれの道を歩んでいたが、ある事件をきっかけに、当時の先生も加わり、20年ぶりに再会し、長い間言えずにいた想いをお互いに話し、胸のつかえがとれたというもののように受け取りました。
先生の児童を思う気持ちや、児童の心理が丁寧に描かれていて、やはり安っぽいテレビドラマとは違う感じでした。
終わりに、出演者やスタッフ、協力会社などの名前が長々と流れるのを見ながら、吉永小百合はどうしてあんなに若いんだろうなどと余韻にしたっていると、「さあ帰るよ」といつもの声がかかり、現実に戻った。
ただ、かみさんには内緒ですが、ストーリーの中で、人が3人も死んでいる。
2人は殺人、もう1人は先生の夫の事故死。
事故死に責任を持ち続けた教え子に、その責任を和らげるつもりか、先生は「夫は病気で、余命いくばくもなかった」ことを伝えた。
命を天秤にかける考えには、違和感を覚える。
確かに、死はインパクトは強いが、それぞれの場面で、必ずしも死を使わなくても、事の重要性は表現できたように思いました。
毎日、土壌微生物、害虫、人間に至るまで、無数の命に接している者にとっては、そう簡単に命を扱って欲しくない思いです。
それと、監督に一言。
吉永小百合は、不倫をするような役に使って欲しくはなかったです。


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