昨年11月から5か月振りの坐禅会でした。
禅堂入山迄、外は強雨、何かを洗い流すかの様相。
ややッ、今朝は新入会女性2名も。
午前6時前には着座、
入会の方への「入堂の方法から着坐迄」のご特別指南。
外では坊守様の打たれる6時の梵鐘が続き、懐かしい。
4月になるとこの時間でも、空は完全に開けきれている。
堂内は、寒さのためのファン付きストーブの音が気になる。
同時に上手なった「ウグイスの鳴声」。
低い読経の中、後ろを歩かれる老師の気配、
「検単」をかねての行事か(初体験)。
しばらくして、坐中の老師のお話が始まる。
老師のお話に意識を集中すると40分の足の痛さを忘れる、
これが無いと長い40分になるので辛い、今朝はありがたい。
「5年度の始まりです、沢山降り積もった雪も融け、美しい梅・桜も散り終わり、
地面では草花が芽を出し花が咲く、そして暑い夏、秋になると花は結実、
それを剥ぐ鳥たち、また新しい命のつながりが」。
お釈迦様は「命の連関・連鎖」、これを「諸業無常」とおっしゃった、
あらゆるものは、生まれ死に又生まれ死に、この繰り返し、
すなわち諸業、そして無常であると。
命のつながりは「因縁」、
「その時々に私というものは存在しない、あるのは命のつながりのみ」。
過日の涅槃会のお参り客の一人の
「数珠が涅槃図の前で切れた」、
この因縁を、幸ととるか、凶とるかは、
仏法を学んだ人かそうでないかにより変わる。
お釈迦様80年の中で、そんなに難しい事を教えられたのではない。
「その因縁事は、その人の体験により開かれよ」と、
「説かれた真理をどんな体験をするのか」によるのですが、
身を整え・息を整え・心を整えて座る「坐禅」、
これも体験の一つ、
この教えはお釈迦様と、
日本では道元禅師様だけ実施され現在も伝えている。
老師は最後に「令和5年度の始まりに当たり、それぞれがどのような人生
になるのか共に歩みたい」と結ばれた。
「姿勢・呼吸・心を整え、もって仏道に入る」。
これが坐禅です。とも。
坐後のお茶とお菓子の振る舞い、
参禅者・老師・坊守氏を交えての座談会、これも楽しいひと時、
女性5名、男性2名の会でした。
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