tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

「大喪の礼」私の関わりと、その想い出。

2023年02月24日 | 季節の便り(北陸、福井)

毎朝ラジオを聞いて目覚め、まどろう、これが私の始まりの日課、

1時間に1度位「今日は何の日」が報じられます。

 

今日2月24日は「昭和天皇様の大喪の礼」(公式の葬式)でした

もう39年前のこの日、その会場席(新宿御苑)にいたのです。

わたしがです。

忘れもしません、前夜は会場近くの代理店社長邸に泊まり、

寒い朝でした、

この参列者の会場(「左右の握舎」間口30m奥行き150mの2張テント)

壁の無い会場の「足元アスファルト床の温度を25℃に挙げるヒーター工事」。

 

後ろ姿、検査を受ける私でしょう

この仕事が、私の宮内庁との営業と、工事施工監督に関わったのです。

 

「当日はヒーター工事事故時の緊急対応要員」でしたが、

作業着を持ち、略礼服、宮内庁職員の皆様と同じテントで待機、

外国主賓の入られるのを窓からのぞいていたものです。

印象深かかったのは、当時のアキノ大統領・2足人分の幅弘椅子が用意されたトンガの王様。

今は、私を取り巻く、当事者も多く先立たれ、私の長命を改めて感じています。

宮内庁への営業出入口は、 

「桔梗門」でした、ここから職員に電話してもらい宮内庁舎へ。

珍しい場所だけに、この営業は忘れられません。

このなぜか、寝たままにしか処理できませんでした。

宮内庁玄関前

 

今一つの思い出も「昭和天皇様と現天皇様(皇太子さま時代)」の関わりです。

「福井国体」で、天皇様、パラ大会の皇太子さまが、

福井県にいらしたとき、地元の電力会社社員として、

同じ旅館(神明旅館)に留まりました、

(こちらは停電時の対処要員)、

近所の住宅に数人の作業員を待機させ、その指示役でした。

大会数日前、里の母から「何か悪いことしたか?」との電話。

覚えがなかったのですが、里の近隣数家に

私の素性と素行の聞き込み」があった由

後日、行幸啓の天皇家と同じ宿に出入り、宿泊する人へ

の皇宮警察の身元調査でした。

 

いずれも人生の一コマ、何かのしるしを残せた、

ひと時でした。


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2 コメント

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Unknown (典型的江戸ッ子)
2023-02-24 20:30:36
【大喪の礼】ご出仕、真におつかれさまでございました。以前、お目もじの折にもお話しさせていただきましたが、装束威儀での出仕でした亡き父とのニアミスもあったのでは・・・と、ご縁の不可思議さを改めて感じます。
【福井国体】の際のエピソードは初耳、実に興味深く拝読させていただきました。
返信する
今は昔のお話です (tarpin)
2023-02-25 09:08:58
典型的江戸ッ子様

宮内庁の上官でいらした
お父上様理のお話し伺っていました。

福井国体も遠くなりました、
いずれも忘れられない思い出でした。
返信する

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