毎朝ラジオを聞いて目覚め、まどろう、これが私の始まりの日課、
1時間に1度位「今日は何の日」が報じられます。
今日2月24日は「昭和天皇様の大喪の礼」(公式の葬式)でした。
もう39年前のこの日、その会場席(新宿御苑)にいたのです。
わたしがです。
忘れもしません、前夜は会場近くの代理店社長邸に泊まり、
寒い朝でした、
この参列者の会場(「左右の握舎」間口30m奥行き150mの2張テント)
壁の無い会場の「足元アスファルト床の温度を25℃に挙げるヒーター工事」。
後ろ姿、検査を受ける私でしょう
この仕事が、私の宮内庁との営業と、工事施工監督に関わったのです。
「当日はヒーター工事事故時の緊急対応要員」でしたが、
作業着を持ち、略礼服、宮内庁職員の皆様と同じテントで待機、
外国主賓の入られるのを窓からのぞいていたものです。
印象深かかったのは、当時のアキノ大統領・2足人分の幅弘椅子が用意されたトンガの王様。
今は、私を取り巻く、当事者も多く先立たれ、私の長命を改めて感じています。
宮内庁への営業出入口は、
「桔梗門」でした、ここから職員に電話してもらい宮内庁舎へ。
珍しい場所だけに、この営業は忘れられません。
このなぜか、寝たままにしか処理できませんでした。
宮内庁玄関前
今一つの思い出も「昭和天皇様と現天皇様(皇太子さま時代)」の関わりです。
「福井国体」で、天皇様、パラ大会の皇太子さまが、
福井県にいらしたとき、地元の電力会社社員として、
同じ旅館(神明旅館)に留まりました、
(こちらは停電時の対処要員)、
近所の住宅に数人の作業員を待機させ、その指示役でした。
大会数日前、里の母から「何か悪いことしたか?」との電話。
覚えがなかったのですが、里の近隣数家に
「私の素性と素行の聞き込み」があった由。
後日、行幸啓の天皇家と同じ宿に出入り、宿泊する人へ
の皇宮警察の身元調査でした。
いずれも人生の一コマ、何かのしるしを残せた、
ひと時でした。
【福井国体】の際のエピソードは初耳、実に興味深く拝読させていただきました。
宮内庁の上官でいらした
お父上様理のお話し伺っていました。
福井国体も遠くなりました、
いずれも忘れられない思い出でした。