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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国では、名門大学を卒業して希望通り一流企業へ就職できたら、それで人生の成功者になれるのかと言えば、そうではありません

2020-09-14 03:07:07 | 韓国旅行

 

韓国では、名門大学を卒業して希望通り一流企業へ就職できたら、それで人生の成功者になれるのかと言えば、そうではありません。

 

サムスンでは、「上位5%の人材を活用すれば、90%は後からついてくる。残りの5%は早く切り捨てろ」というのが人事政策の基本だそうです。

サムスングループのなかで比較的に社員同士の競争がゆるいサムスン物産でも、社員は月曜から土曜、深夜に至るまで働いて、日曜日には会社が薦める書籍を読んでいる・・・・・・ひとときも休む間もない競争がそこにはあるということです。

そして、50歳までに部長に昇進できなければ、「名誉退職」という名のリストラが待っています。

また、取締役になったとしても、毎年実績を審査され、成績が悪ければ1年でクビ。

それが昨今の大企業のやり方なのです。

 

早期退職させられた人は、退職金や年金だけでは生活が苦しいので、自分で仕事をはじめる人も多いのです。

大企業で実績を重ね、人脈もあればそれなりの仕事に就けますが、そうではなければ、飲食業などまったく別の業種で稼がなければなくなります。

 

しかし、50代の未経験者がいきなり店を出しても、うまくいくケースはほとんどありません。

やがて廃業に追い込まれ、老後の暮らしがますます厳しくなるわけです。

 

加えて、息子が結婚する場合、父親が住まいを準備する習慣が韓国にはあります。

良家から嫁をもらう場合には、なおさらしっかりした家を用意しなければなりません。

そのためには、老後の安泰を手放して退職金をはたくことになります。

息子は息子で、子供の教育費に四苦八苦するばかりで、親の面倒を見る余裕などありません。

 

受験戦争に敗れた子供、就職が叶わなかった若者、競争社会の中で脱落していった人々、そして老後の生活のアテを失った高齢者たち・・・・・・韓国の人びとを取り巻く環境は日に日に悪化し、改善の予兆すらありません。

 

 

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朴正熙大統領(在任 1963~79年)は不正腐敗とは縁のなかった人物のようです

2020-09-13 03:02:55 | 韓国旅行

 

朴正熙大統領(在任 1963~79年)は不正腐敗とは縁のなかった人物のようです。

 

現に暗殺されたとき、私的財産はほとんど残っていなかったと言われています。

ただ、「朴正熙は大統領在任中に幾度も憲法を改正し、大統領の間接選挙制度まで導入して、独裁政権を維持させた。それによって、自分は終身大統領のつもりでいたのだから、財産は必要なかっただろう」などと皮肉る声があるのもたしかです。

 

朴正熙はけっして私利私欲で大統領を続けたのではないと思います。

彼は日本の軍人精神を尊重し、身につけていましたし、そこには滅私奉公の思想があったはずです。

「自分が国家を再生しなければならない」との強い信念から大統領を続けたのだと思うのです。

 

1974年8月15日、文世光事件で、巻き添えとなった夫人の陸英修女史が亡くなった後、朴正熙はひとりで酒におぼれることが多くなったと聞きましたが、それでも国の発展を願って「漢江の奇跡」へ邁進し、見事に実現させました。

それは並大抵の覚悟では成しえなかったに違いありません。

 

父親が暗殺された直後、27歳だった朴槿恵は側近に「38度線は大丈夫ですか」(北朝鮮軍に南進や韓国攻撃の動きはありませんか)」と問うたそうです。

 

母に続いて父までも暗殺されるという悲痛な状況で、しかも自分たち兄弟の行く末も不安なときに、真っ先に国のことを心配したのです。

まさに、両親の思いを代弁しているかのような熱誠のこもった振る舞いではないでしょうか。

 

ところが、父親から信頼され、可愛がっていた部下が多数いたにもかかわらず、残された兄弟姉妹の面倒を見ようとする人物は稀でした。

たしかに、実際はその部下たちも次の政権から遠ざけられ、多くの人々は財産も没収されていたため、彼らの面倒を見る余裕などなかったかもしれません。

 

いずれにせよ、残された家族は、その後長きにわたり隠遁生活を送らざるをえなくなったわけです。

後に朴槿恵が部下に対して全幅の信頼を置くのをためらうようになったのは、このときの体験がトラウマとなったからではないでしょうか・・・。

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李氏朝鮮の「王朝政治」は、党派抗争の歴史でしたが、現在もその流れが続いています

2020-09-12 02:26:23 | 韓国旅行

 

14世紀末から20世紀初頭にかけて続いた李氏朝鮮の「王朝政治」は、党派抗争の歴史でした。

 

それは宮廷内部における権力争いであったため、熾烈を極めました。

血族同士の潰し合いも珍しくなく、新たに権力を握った者は、前任者を一族もろとも抹殺していったのです。

そうしないと、いつまた自分の一族が追放されるかわからなかったからです。

このような「伝統」は、残念ながら戦後の韓国にも脈々と受け継がれていきました。

 

1948年に初代大統領になった李承晩は、60年に学生革命で失脚し、米国・ハワイに亡命しました。

 

後に大統領になる金大中は、当時の朴正熙政権に挑戦し、71年の大統領選挙で健闘したため、2年後にKCIAによって日本から拉致され、韓国に移送される途中に海に放り出される寸前に一命をとりとめました。

しかし、その後は光州の学生の暴動を扇動したとして死刑判決を受けるなど、苦難の政治生活を送りました。

 

その金大中と争った朴正熙大統領は、金銭的には清廉潔白な指導者でしたが、生涯を国に捧げる思いで、独裁政権を率いたことから、在任中の79年、KCIAの金載圭部長によって暗殺されています。

 

朴正熙の後に大統領になった全斗煥は、朴大統領の失敗を反省し、一期限りで退任するとの公約を果たし、盟友であった盧泰愚に政権を譲りますが、当の盧泰愚大統領によって山中の寺に隠遁を余儀なくされ、その後継である金泳三によって政権奪取の際の反乱首謀容疑で退任後に逮捕され、96年には死刑判決を受けます(後に減刑、特赦)。

 

さらに盧泰愚も大統領を退いた後、収賄容疑で逮捕され、懲役17年の刑に処せられました(後に特赦)。

元・大統領が同時に二人して獄中に繋がれたのです。

 

その後の金泳三、金大中の両大統領は本人が逮捕されることはありませんでしたが、金泳三は次男らが収賄容疑でお縄となり、金大中の息子二人もあっせん収賄のかどで牢につながれました。

 

2000年代に入っても、その流れはとどまることはありません。

盧武鉉大統領は退任後、夫人が収賄容疑で捜査対象として浮上すると、自分に累が及ぶのを覚悟し、名誉を傷つけられるのを恐れて自殺を遂げます。

その結果、盧武鉉の熱烈な支持者によって李明博政権への批判が強まります。

 

また、李明博に関しては、大統領退任後の住まいを不当に安く購入したとの疑惑をかけられたうえに、兄の李相得元国会副議長・韓日議連会長が企業などから違法資金を受取ったとして、大統領である弟が現職だった12年に斡旋収賄の疑いで逮捕されています。

李明博の次の大統領、朴槿恵も現在収監中ですし、李明博も収監されています。

 

なぜ、大統領やその周囲の人物が不正腐敗を巡って次から次へと逮捕されるのでしょうか。

それは、大統領には大きな権限が集中していいるからだと考えられます。

そして、大統領の親族にはその権限に絡む誘惑が多いのも事実です。

 

韓国では大統領の権限縮小を狙って議院内閣制度などが提唱されていますが、未だその流れさえできていません。

いったん大統領になると、その権限縮小につながる議員内閣制には同意できないのです。

 

 

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韓国では、銀行からではなく、知り合いからお金を借りることが普通にあるようです

2020-09-09 03:09:14 | 韓国旅行

 

情のこともあって、韓国では、銀行からではなく、知り合いからお金を借りることが普通にあるようです。

 

データはありませんが、そう言われています。

実際に大勢の人たちが、知り合いからお金を借りているようです。

 

また、同じ人に何度も借りる人が多く、諺と言いうほどではありませんが、「九回(お金を)貸してやっても、十回目に貸してやらないと恨まれる」とも言われています。

 

借りたお金を返さない人が多い件で、韓国のネットでは「お金を借りて返さない人の心理」というもので、「借りた人は、借りたお金を自分のものだと思ってしまう。だから、返す行為を『奪われる』と思ってしまう」となっています。

奪われるというのは自分が損をするわけですから、この指摘は「相応の対価」(相手に下になってもらう)と同じ考え方だと見ていいのではと思います。

 

自分が貸したお金なのに、自分が徹底的に相手より「下」にならないと返してもらえない、「それでも返してもらえたからまだマシですよ」ということがよく起こるようです。

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韓国の諺に「お金は、座って(貸して)やり、立って(返して)もらう」というのがあります

2020-09-08 03:08:49 | 韓国旅行

 

韓国の諺に「お金は、座って(貸して)やり、立って(返して)もらう」というのがあります。

 

1980年代、いや90年代までは、「韓国人は~だから、~を直すべきだ」とする社会批判記事が結構ありました。

その中に欠かさず出てくるものが、「親しい仲でも借りた金はちゃんと返すべきだ」でした。

「保証人になるな」という内容が、いつもセットで載っていました。

 

もともと韓国では、「ウリ」「情」をお金で確認する方法が二つありました。

一つは、お金を貸してくれること。

もう一つは、銀行など金融機関からお金を借りる時に「保証人」(韓国では総称として連帯保証人といいます)になってくれること。

副作用が多すぎて、韓国の連帯保証人制度は2008年から廃止されました。

 

「親しい仲」の人からお金を貸してくれと言われること自体がかなり苦しいものではありますが、問題は、返してもらえないことです。

日本でも「借りるときの地蔵顔、返すときの閻魔顔」とも言いますが、韓国には「お金は、座ってやり、立ってもらう」という諺があります。

 

ここで言う「座る」「立つ」は、「上下関係」のことです。

上の立場の人が座り、下の立場の人は立っていないといけません。

すなわち、お金を貸すときには貸す人が上ですが、返してもらう時には、むしろ貸した人のほうが下になってしまう、という意味です。

 

日韓両方の諺は、一見、同じ内容に見えます。

どこの国でも、借りたお金を返すときには、誰もがいい顔はしないものなのでしょうか。

 

ただ、日本の「返すときの閻魔顔」の場合は、「不機嫌そうだけど、返す」のニュアンスがありますが、韓国の「お金は、座ってやり」の場合は「『相手に下になってもらう』という相応の対価が得られないと、返さない」ニュアンスがあることに気づきます。

 

この差は、致命的です。

ちゃんと返してくれるなら、相手の顔が閻魔大王の顔だろうが、トランプ大統領の顔だろうが、別にいいでしょう。

 

韓国の諺に含まれている「座る・立つ」(上・下)の意味は、貸したお金を返してもらうのはそんなにも難しいことだ、という普通の解釈もできます。

 

その真の意味は「対価の要求」です。

お金を借りた人が、貸してくれた人に対して、「わたしがお金を返すだけでは、公正ではない。お前が『下』であることを示せ」と要求しているわけです。

 

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財産だけもらっておいて、親を虐待する例が後を絶たず・・・・・・、の韓国

2020-09-05 02:58:11 | 韓国旅行

 

財産だけもらっておいて、親を虐待する例が後を絶たず・・・・・・、の韓国

 

財産がずば抜けて多い人なら、たとえば高度経済成長期に不動産で「当てた」人なら、社会福祉システムができてなくても、何とか老後が過ごせるでしょう。

しかし今、財産贈与で孝道契約書を考えている人たちは、子の力なしに老後が過ごせるような資産家たちではありません。

高齢者になるまで、老後を生きるほどの財産を集めることもできず、子が親の面倒を見る社会風潮は崩れてしまった。

 

1955~1960年生まれの人たちです。

贈与に関連して親が子に裏切られた事例、たとえば、「親孝行すると言う子に財産の贈与をしたら、財産を受取った後に子の態度が急変して、親に虐待した」などで裁判まで行った事例は、円にすると、約500万円前後、多くて約1千万円規模の財産において争う場合がほとんどのようです。

 

1955年~1960年生まれの人たちのことを「親の面倒を見た最後の世代で、子に捨てられた最初の世代」と言われているようです。

日本人からすると「1960年生まれならまだまだ現役でしょう」と思われるでしょうが、韓国は定年が早いのです。

定年という名の、「押し出し」です。

 

彼らは、やはり子に頼るという生き方しかできません。

だから、残り少ない財産でも子に贈与して、その対価として親孝行してもらうしかありません。

まさに「家をやるからさ、親孝行しろよ」です。

 

でも、財産だけもらっておいて、親を虐待する事例が後を絶ちませんでした。

だから「契約」を強いるようになったのです。

いざという時に、子を告訴するために、もはや、親と子の関係ではありません。

店主と店員のような関係です。

 

高齢者たちからすると、孝道契約書が、ある意味では自営業の開業(親と子の関係ではなく、店主と店員のような契約関係の始まり)でもあるわけです。

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最近の韓国は、日本の国力を過小評価する傾向にあります

2020-09-04 03:08:15 | 韓国旅行

 

韓国がここまで発展を遂げることができたのは、アメリカを中心とした西側資本主義が作り上げた国際秩序に依るところが大きく、特に日本からの経済援助や技術供与が多大な力になったことは歴史が証明するところです。

 

しかし、最近の韓国は、日本の国力を過小評価する傾向にあります。

そして、これまで日本が行なってきた経済協力は隠して、日韓間の貿易も、その恩恵は日本のほうが多く得てきたと認識しています。

 

そのため、日本の経済力が相対的に落ちてきたいま、韓国では「もはや日本を頼りにする必要はないし、学ぶこともない」という風潮が広がっています。

もちろん、財界人や国際関係の事情をよく知る有識者たちにそのような認識はありませんが、マスコミや世論を意識した評論家などはそう言いたがる傾向にあります。

 

韓国が日本と協力して得られるものは単に貿易だけではありません。

そもそも韓国の財閥系輸出企業でも、その完成品のもととなる機械、部品、素材の多くは日本から輸入しないと成り立たないのです。

また、韓国の製造業、特に中小企業は中国の技術的追い上げによって日中間のサンドイッチ状態になっていますが、これを乗り切るためには、日本企業との協力が欠かせません。

 

日本が韓国を支援してきた分野は経済だけではありません。

政治的にも、日本はこれまでさまざまなかたちで韓国を助けてきました。

しかし、ここでもまた、韓国は「日本と同等以上の国際的地位に立った」として、日本のポジションが上昇することを警戒し、対抗しています。

中国との関係では地位(姿勢)を低く構えるのですが、日本が相手になるとまったく正反対の態度に出ることが多いのです。

 

日本が国際社会で長年にわたって築いてきたステータスを、韓国は日本と協力することで活用したほうがはるかに建設的だと思うのですが、そういう発想に至らないのが残念なことです。

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韓国は日本に対してもそうするように、中国へも建前と本音で対応します

2020-09-03 03:07:52 | 韓国旅行

 

韓国は日本に対してもそうするように、中国へも建前と本音で対応します

 

ただし、その使い方はまったく正反対です。

「日本は歴史認識が誤っており、根拠のない領有権を主張して韓国から独島(竹島)を奪おうとしている。だから許せない」・・・・・・これが日本に対する建前だとすれば、本音(実態)はけっして日本嫌いではないし、日本文化に染まっている人がとても多い。

たしかに竹島に対する韓国人の感情は特別です。

しかし、政治と歴史を離れれば、日本とは良い関係にあるのです。

 

ところが、中国には表立って批判めいたことを言わないけれど、腹のなかには不満や嫌悪感が充満しているのがわかります。

南北分断が恒久化したのは、中国が朝鮮戦争に介入したからだということは、韓国人なら誰でも知っていますが、口には出しません。

教科書にだって、おそらくそのようなことは書いていないでしょう。

 

中国は韓国にとって「宗主国」だった時代が長く、その歴史が現代においても両国の関係に大きな影響を与えています。

生殺与奪の権利を握られていた中国には、おいそれと逆らえないという体質が代々受け継がれてきたからです。

 

しかし、そのような負の精神史はそろそろ断ち切るべきです。

韓国は先進国になったのだから、対等な国として中国と向き合っていい時期にきているのではないでしょうか。

自ら中国の属国になり下がる必要はまったくないと思います。

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