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李氏朝鮮の「王朝政治」は、党派抗争の歴史でしたが、現在もその流れが続いています

2020-09-12 02:26:23 | 韓国旅行

 

14世紀末から20世紀初頭にかけて続いた李氏朝鮮の「王朝政治」は、党派抗争の歴史でした。

 

それは宮廷内部における権力争いであったため、熾烈を極めました。

血族同士の潰し合いも珍しくなく、新たに権力を握った者は、前任者を一族もろとも抹殺していったのです。

そうしないと、いつまた自分の一族が追放されるかわからなかったからです。

このような「伝統」は、残念ながら戦後の韓国にも脈々と受け継がれていきました。

 

1948年に初代大統領になった李承晩は、60年に学生革命で失脚し、米国・ハワイに亡命しました。

 

後に大統領になる金大中は、当時の朴正熙政権に挑戦し、71年の大統領選挙で健闘したため、2年後にKCIAによって日本から拉致され、韓国に移送される途中に海に放り出される寸前に一命をとりとめました。

しかし、その後は光州の学生の暴動を扇動したとして死刑判決を受けるなど、苦難の政治生活を送りました。

 

その金大中と争った朴正熙大統領は、金銭的には清廉潔白な指導者でしたが、生涯を国に捧げる思いで、独裁政権を率いたことから、在任中の79年、KCIAの金載圭部長によって暗殺されています。

 

朴正熙の後に大統領になった全斗煥は、朴大統領の失敗を反省し、一期限りで退任するとの公約を果たし、盟友であった盧泰愚に政権を譲りますが、当の盧泰愚大統領によって山中の寺に隠遁を余儀なくされ、その後継である金泳三によって政権奪取の際の反乱首謀容疑で退任後に逮捕され、96年には死刑判決を受けます(後に減刑、特赦)。

 

さらに盧泰愚も大統領を退いた後、収賄容疑で逮捕され、懲役17年の刑に処せられました(後に特赦)。

元・大統領が同時に二人して獄中に繋がれたのです。

 

その後の金泳三、金大中の両大統領は本人が逮捕されることはありませんでしたが、金泳三は次男らが収賄容疑でお縄となり、金大中の息子二人もあっせん収賄のかどで牢につながれました。

 

2000年代に入っても、その流れはとどまることはありません。

盧武鉉大統領は退任後、夫人が収賄容疑で捜査対象として浮上すると、自分に累が及ぶのを覚悟し、名誉を傷つけられるのを恐れて自殺を遂げます。

その結果、盧武鉉の熱烈な支持者によって李明博政権への批判が強まります。

 

また、李明博に関しては、大統領退任後の住まいを不当に安く購入したとの疑惑をかけられたうえに、兄の李相得元国会副議長・韓日議連会長が企業などから違法資金を受取ったとして、大統領である弟が現職だった12年に斡旋収賄の疑いで逮捕されています。

李明博の次の大統領、朴槿恵も現在収監中ですし、李明博も収監されています。

 

なぜ、大統領やその周囲の人物が不正腐敗を巡って次から次へと逮捕されるのでしょうか。

それは、大統領には大きな権限が集中していいるからだと考えられます。

そして、大統領の親族にはその権限に絡む誘惑が多いのも事実です。

 

韓国では大統領の権限縮小を狙って議院内閣制度などが提唱されていますが、未だその流れさえできていません。

いったん大統領になると、その権限縮小につながる議員内閣制には同意できないのです。

 

 

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