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1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

現実と妄想に行き来する韓国のようです・・・

2017-01-09 11:32:07 | 韓国旅行

韓国の国民は何故、嘘を吐き、だましあうのでしょう?


もし日本で嘘を吐いていたことが発覚した場合、その人は信用を大きく失うことでしょう。


しかし韓国では違います。


何故嘘を吐かずに正直に生きて、自分から進んで損をする必要があるのかと、正直者が非難されることが常識だからです。


そこまで酷くはないだろうと反論したい日本人もいることでしょう。


しかし、韓国政府自体が大きな嘘を吐いているではありませんか。「韓国は日本と戦った戦勝国である」。


これを嘘と言わずに何と言えばいいのでしょうか?


現在の朴大統領の父親であり、韓国第5~9代の朴正熙元大統領は、満州国軍の中尉として終戦を迎えているのです。


当時は満州国も朝鮮半島も日本の統治下にあり、朴正熙元大統領は中尉として日本と戦ったのではなく、当時の中国やロシア帝国に対して、満州軍人として戦ったのです。


当時の朝鮮半島は日本によって併合されており、アメリカの記録にも、世界の記憶でも韓国は戦勝国ではなく、日本と同様に敗戦国でしかないのです。


嘘に嘘を重ねると何が真実であるのか分からなくなってしまうようです。


現実と妄想に行き来する韓国のようです・・・。

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『くだらない』の語源を知ってますか?   『百済の物でなければ価値がない』という意味なんです

2017-01-09 08:22:09 | 韓国旅行

『くだらない』の語源を知ってますか?

 

『くだら』は朝鮮半島の古代百済(紀元前18~660年)のこと。


『百済の物でなければ価値がない』という意味なんです。(この説は違うという説もあります)


当時、百済から多くの文物が日本にもたらされて大きな影響を与えたそうですから、百済と日本の歴史的関係は相当深いようです。


公州は百済に縁のある場所なんです。


今は公州と呼ばれるこの辺りには、百済第二の都だった熊津(웅진)があったんです。


ここから、南に行くと、泗沘(サビ)と呼ばれる第3の都があった扶余があります。


百済(階伯将軍)と新羅(キム・ュシン)の戦いがあり、敗れた百済は660年に歴史から姿を消していきました。


古代史に関心があって、百済文化の中心だったこの辺りを訪ねる日本人も多いようです。

 

百済の都だった、公州・扶余には何度か行ったことがあります。

 

公州バスターミナルからしばらく歩き、錦江鉄橋を渡ると熊津塔があります。


熊津웅진・ウンジン)は、古代朝鮮の百済の古都であり、万葉仮名では久麻那利くまなりこむなり)、百済語では古莫那羅コムナル곰나루)と表記・呼称される。


熊川(錦江)のほとりの都市であり、現在の忠清南道公州市にあたる。

 

475年に高句麗の長寿王が百済の国都・漢城(現在のソウル特別市)を陥落させ、百済の蓋鹵王を処刑すると、南方に逃れていた(あるいは新羅に救援を求めに行っていた)文周王が即位し、首都を熊津に移した。


後に聖王が538年に、さらに南方の泗沘(現在の忠清南道扶余郡)へ遷都するまでの63年間、百済の首都であった。


新羅の統一の後、熊川州→熊州という名称を経て、高麗時代に公州に改称された。


現在も公州市には熊津洞という地名が残る。


熊津塔(公州)

 

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