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「入江貝塚(入江高砂貝塚館)」へ行った。【縄文を学ぶ-4】

2018-07-07 | 縄文を学ぶ
2018年6月26日(火)

 「縄文を学ぶ」に、北海道虻田郡洞爺湖町の「入江高砂貝塚館」へ。

 千歳空港から、南千歳駅乗換えで洞爺駅へ。


(南千歳駅から「北斗」に乗る)

 ホームページには、「入江高砂貝塚館」に行くには洞爺駅から徒歩約15分と書いてある。知らない土地を15分歩くと長く感じる。タクシーで行くと、「入江高砂貝塚館」から徒歩数分のところにある「入江貝塚公園」に着けてくれた。空はどんよりと曇って、今にも雨が降りそうな天気。


(入江貝塚公園)


(入江貝塚公園)

 入江貝塚は、[草創期][早期]【前期】[中期][後期][晩期]と区分されている縄文時代の、前期から後期(約5,000年前~約3,000年前)につくられた、貝塚を伴う集落跡で、三カ所の大きな貝塚と竪穴住居跡に作られた小さな貝塚がある。

 公園内のいたるところに貝塚に関する説明板が配置してあって、公園内を一周することで貝塚や入江貝塚のことが学べるようになっている。


(公園内の説明板)


(公園内の説明板)

 竪穴住居は前期が4軒、中期が19軒、後期が4軒の計27軒が見つかっている。一つの時期では10軒程度だろうと考えられている。住居内で火を焚いた跡もある。縄文時代早期の上野原遺跡(鹿児島県)では、火を焚いた跡は見られなかった。住居はやはり一つの時期では10軒程度だろうと考えられていた。

 発掘された住居跡は一部で、何百軒もの住居跡が埋もれていると思われている。

 縄文時代後期の竪穴住居が復元されている。一つは木で作られた骨組みだけ、一つは骨組みも無く炉だけ、一つは屋根も作られている。三つで、構造が分かるように工夫されている。


(復元された堅穴住居)


(復元された堅穴住居)


(復元された堅穴住居)

 竪穴住居は柱の位置などはわかるが、上屋がどのような作りだかはわかっていない。それぞれの縄文遺跡が独自に復元している。入江貝塚では、屋根に土をかぶせる「土ぶき」で復元されている。上野原遺跡(鹿児島県)の復元住居とはかなり違う。

 眼下に見える海は噴火湾。内浦湾ともいう。


(噴火湾が見える)

 公園の一角には、約20mの貝塚を剥ぎ取り展示した「貝塚トンネル」がある。断面には、土器や石器、イルカやエゾシカなどの骨が、土に刺さったように見ることができる。詳しい説明もしてあり貝塚を学べる。
上野原遺跡で見た火山灰による年代が分かる断層も迫力があったけど、貝塚の断層も迫力がある。


(貝塚トンネルの建物)


(貝塚トンネル内)


(貝塚トンネル内)


(貝塚トンネル内)


(貝塚トンネル内)


(貝塚トンネル内)


(貝塚トンネル内)


(貝塚トンネル内の説明板)


(貝塚トンネル内の説明板)

 イルカを一人で捕獲するのは困難だ。多くの人たちが協力し合って狭い湾の中に追い込んで捕獲していたであろう。定住が始まった時代が縄文時代とされているが、縄文時代は、協力し合しあって生活して行く時代ともいえよう。

 貝塚からは縄文人のグルメぶりも見える。前期から中期前半にかけて住んでいた縄文人たちはハマグリを食べていた。ハマグリが生息するほど温暖な時期であったようだ。中期後半以降に住んでいた縄文人はハマグリを食べていない。後期には、ホタテやイガイなどの寒流系の貝を多く食べていた。この地が、現在の気候と同じ気候になったことがわかる。

 洞爺湖町にある入江貝塚、高砂貝塚の出土品が展示してある「入江高砂貝塚館」は入江貝塚公園から、歩いて数分のところにある。縄文時代後期には、この地域に住んでいた人たちの主な生活の場が、入江貝塚から600mほど北にある高砂貝塚に移ったと考えられている。


(入江高砂貝塚館)


(噴火湾沿岸の先史文化編年表)

 前期の土器は口が平らになっている。中期になると、口が波打つようになってくる。実用性だけではなく、装飾を施すようになっていく。


(縄文時代前期の土器)


(縄文時代中期の土器)

 A「これは変わった土器だね。」
 B「食べ物はたくさんあって、採りに行かなくていいので、暇つぶしにいろいろと試しているんだよ。」
 A「この波打つような口は何の役に立つのかね?」
 B「面白いだろう、見た目がかっこよくないかい。」
 なんて、会話してたんでしょうかね。


(縄文時代晩期の土器)


(住居から出土した土器)

 入江式土器は、縄文時代後期の土器で木の棒で渦巻きや波型の文様がつけられている。北は札幌周辺、南は渡島半島にかけて分布している。青森県から秋田県にかけても同じような文様の土器が出土している。


(入江式土器)

 貝塚からは人骨も見つかっている。貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、神聖な場所だった。


(貝塚トンネル内の説明板)


(貝塚館内の展示)

 入江貝塚で出土している19体の中には、ポリオにかかった人骨も見つかっている。幼少期にポリオに感染し、手足を動かすことができず、周囲の人たちから今でいう介護を、少なくとも十数年間受けていたと考えられている。協力し合って生きて行く社会が見れる。

 縄文時代後期の高砂貝塚からは28基のお墓が見つかっている。難産で母子ともに亡くなったと思われる遺体もあった。


(高砂貝塚の説明)

 入江貝塚は、本州の貝塚と異なり、貝の含まれる割合が少なく、魚や動物の骨が多いのも特徴になっている。土器や石器も見つかっているが、骨で作られた道具類もたくさん見つかっている。それら骨角器は北海道の有形文化財に指定されている。


(北海道の有形文化財の説明)


(骨角器類)

 貝塚からは、①魚を獲る、貝を採る、漁撈の道具などの海とのつきあいの様子、②獣の骨、狩猟の道具類など狩りの生活の様子、③人骨などから体格や特徴、生活の様子、④装飾品や呪術の道具類などから精神的な生活の様子、などなど縄文時代の生活の様子を知ることができる。


(断層の剥ぎ取り展示)


(後期の顔にかぶせられたホタテと副葬された土器)


(ナイフ・石鏃)


(環状土製品など)

 見学の後は、洞爺湖へ。「トンネルを抜けるとそこは湖だった。」タクシーの運転手さんに言ったら笑われてしまった。洞爺湖遊覧船に乗って、洞爺湖温泉へ。茶色帯びた湯に浸る。湯の色も湯の香りも私は初めての経験。気温が九州とは10度程差がある。冷えた躰も芯から暖まり、部屋から花火も見られた。ぐっすりと寝る。


(洞爺湖)